「門掃き(かどはき)」…知ってる、言葉は知っているが意味は知らない、初耳…あなたはどんな反応をされただろう。「京の門掃き」を運転中に耳にし、私には生活の中にある言葉であり特別耳新しいものでも無く、そもそも自宅前の掃除は当たり前の行動、何故今改めて取り上げる?…位にその時は聞き流した。
しかし、「門掃き」という言葉、本来の意味も含めどのくらいの人が知っているのか。京出身の人なら誰もが知っていて、使っている…と思ったが、以外にも初耳という人が結構いた。更に言葉の由来や、本来ルールらしきものもあって…と言葉を重ねると、掃除にルール?と反対に驚かれた。
自分の家の前を掃除するついでだからと隣りの家の前を掃除してはいけない、何故ならお隣さんに掃除をさせてしまった、と負担な思いにさせるから。立場を変えると、善意の行動が掃除もしない家と、恥をかかせることに繋がるから要らぬお世話…等の理由からだ。更に、掃除をし綺麗にするのは、自分の為の務めだけで無く、人様に不快な思いをさせないための行動でもあり、それが同時に人間の心理として、綺麗に掃除してある場所にゴミは捨てられない…と、無意識に?汚す行為を回避するのだとか。
門掃きの実行が、挨拶に始まる何気無い日々の会話を生み、隣り合う人々への気遣い、思い遣り等々となり、綺麗にすることで互いの心地よい生活空間の確保、更には人の迷惑行為を律する働きにも繋がるのだ。
京独自に伝わって来たこの門掃きと云う習慣は、決して難しいものではない、京という地域に終わらず、共に生きる人間として世界中が同調出来ないものだろうか。おもてなしに象徴される東京オリンピック、間も無く世界中の人を迎えるが、、美しい国、心地良さを感じてもらえる国でありたい。門掃きに見る相互の |
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気遣い、それこそが、ゴミのポイ捨て、落書き、立ち入り禁止お構い無し等々のマナー違反者の軽減に繋がっては行かないだろうか。また、人の振り見て…ではないが世界が抱えるどんな問題も、まず自らを律することから始めれば、時間は要しても一つ一つの行動が人の心を動かし広がっては行かないだろうか。悲しい事に身近にある緑豊かな美しい林道も、不謹慎なポイ捨てゴミから始まり、時と共にゴミ道路に…ひとつの違反行為が、やがて地域を、国を、地球を脅かして行く。決してオーバーな話では無く、現実に起きている災害、被害、弊害…を思えば誰もが認識出来ること
であり、些細な行為が多くの人の命をも脅かし兼ねないことを自分自身の事として認識すべきだろう。
特別なものはいらない。細やかなお隣さんへの思い遣り、ほんの一言の挨拶が、個人にも、社会にも、世界にも共存するための良好な関係を作り上げて行く。ただ、価値観の違い、片寄った考え方、プライド…様々な要因が、それを容易にはしてくれないのが現実だが、たまたま「門掃き」の言葉に様々な事へ思いを巡らしたように、ふと耳に、目にとまった言葉や事象に対して、それはなに?どういうこと?…と、自身に関わることとして知ろうとする努力や労力が、やがて自分を、人を本来あるべき姿に導いてくれる機会へと繋いでくれる…一人の細やかな行動も、同調する人が多くなれば、地域を社会を動かす力と成ることを日々変わらず信じ続けたい。
華道専慶流 西阪慶眞
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