コンピューターの二千年問題で幕を開け、ミレニアムの文字が溢れた一年が終ろうとしている。
利益追求、自己中心的感覚が社会に大きな問題を投げかけた二千年。悪いものを悪いと知りながら、それを正してゆけず、常識と言う言葉の意味も失われ、物の善し悪し、思いやり、優しさと言う言葉を口にする事さえはばかられる現状はなんとも嘆かわしい限りである。そんな世の中にあって犠牲になるのは、決まって力の無い弱い者、正直者…。その暗雲立ちこめる中にも輝いたニュースはあった。積み重ねた努力が確かな形で評価され、人々の心に夢と希望と喜びを与えたオリンピック、そして人生に一纓の望みと無限の感動を与えてくれたパラリンピックである。
明暗凝縮された一年、自分にとってはどんな世紀末だったのだろうか。二十一世紀を迎えるにあたり、今ここでもう一度、自分自身の歴史を振り返えるのもいいのではと、重かった腰をあげ、これまで積んでいた沢山の書類や写真の整理に着手した。懐かしい思い出の一ページが目の前を往来して、整理は遅々として進まないが、過去を鮮明に蘇らせるにはこれらは充分すぎるほど圧縮保存されていた。振り返るのは、なにも過ぎた時を後悔する事でも、自身が後退すると言うものではなく、前向きに新たな一歩を踏み出すための大切なステップ台だと思える。
与えられた時の長さを生きてきて、今ここにある自分は遠く過ぎた日に思い描いていた自分だろうか…反省にも似た確認をしたかったのも理由の一つだった。生きる目標は人それぞれに違っていても、何かを夢見、何かを求め前向きにここまで歩いてきたはず。しかし、本当に「我が人生に悔いなし」の歩みをしてきたのだろうか、生き証人を目の前に一喜一憂。
煩雑な世の中にあって、めまぐるしく発展を続ける文明社会に生きていると、いつしか大きな力や社会の流れに、自分が求めていたものとは違った方向に向けさせられたり、自分の心の中の大切な何かまでも見失う事になりかねない。複雑な世の中では、本当の意味での自分らしい仕事、目標に向かって毎日を継続し積み上げるのは難しいもの。特に生産関係以外の業種の人は、不景気になればなるほど軽視され、意欲を落とす。また、貧困社会では文化、芸術土壌はやせ細るのは云うまでもなく、景気混乱は文化だけでなく、人の心までも押し流しかねない。
来るべき二十一世紀にはもう一度、風土、歴史を振り返り、その中で育んできた日本の心の再評価の元年と位置づけたい。『いけばな』にも一層の心の注入が要求されるゆとりが戻る事を期待してやまない。
華道専慶流 西阪慶眞
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