確かな時間が流れ、生活も文化も変わり続ける社会の中にあって、決して忘れてはならないものがある。「人を思いやる心、互いの存在を認めあう最小限?の常識…」。こう言えば、頭が堅い、考え方が古いと言われるのだろうか。「今どき常識なんて流行らない、激動の中で生きていくには、常識なんてことに構っていられない」と。このような自己中心的思考は、けっして若者だけに限った事ではないようだ。こんな時代だからこそ、こんな時代にしてしまった自分達だからこそ、もう一度わが身を振り返って見るべきではと思うのだが…。
どんなに長い時が流れても、伝えていかなければならない一番大切なこと、それは、共存共栄のための人の心、人を思いやる心だろう。心を伝えたり心を受け止めるのに、特別な技術や知識、力も何もいらない。心は、心でキャッチボール出来る、出来なければいけないのです。
先日「世の中、なにかが狂っているよ」と知人が嘆いていた。出発便を待つロビーでの出来事。不測の事態が起きない限り、出発前30分位は余裕をもって出かける、それが当り前と言う感覚の友人には、出発時間になっても繰り返される「最終搭乗案内」が不思議でならなかった。本来ならもう飛行機は離陸する時刻になっているにもかかわらず、「ゲートにお急ぎ下さい」のアナウンス。挙げ句の果てに業務員がゲート入り口から反対方向へ、搭乗者の名前を呼びながら走って行く。そしてやっと現われた乗客、申し訳なさそうにしているならともかく、笑いながら、おしゃべりをしながらゆっくりゲートに入ってくる。
この現実が、出くわせた便に限った事ではなく、およそどの便も同じ状況だと言う。
自分の時を生きる事は、同時に他人の時間にまで影響を与えている事を知らなければならないのだが、現実はあまりにも配慮にかける。約束事を守ったり、他人に不愉快さを与えない配慮は人間としての基本。
いけばな教室はこうした人の心を磨き、研鑽の場としての性格も兼ねていた。行儀作法だけでなく、一本の枝葉を思いやる心が生けた形に出る事を身をもって体験し、反省するのです。これが華道の所以でしょう。修行と言う言葉が遠くになったとはいえ、いけばなを通じ教えられることは多々あり、情操教育には最適な媒体であることは言うまでもありません。
華道専慶流 西阪慶眞
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