狂牛病事件が日本国内で大きな波紋を広げている。日本では起こり得ないとしていたことからの行政指導の甘さに加え、病原菌が見つかったその後の対応の遅れが国民の不安に拍車をかけ、牛肉のみならず、加工品すべてを遠ざけると云う事態にまで発展した。その後すべての食肉牛について厳重な検査をする態勢も構築、実施されるようになった。しかし大規模な調査にもかかわらず、いまだ感染源が特定されていないことや、地方自治体の温度差など行政不信の現状下では安全宣言を鵜呑みには出来ず、問題解決にはしばらく時間がかかりそう。
危機管理と云う言葉を近年よく耳にするようになった。危機管理とは何が起こるかわからない事への事前、事後への管理体制をさすが、私達の身の回りも再点検しておく必要がありそう。他人任せや「大丈夫」と思いこむ安易な思考回路は是正し、常にチェックする習慣を身につけておかなければならない。
少し話は異なるが、最近最上階部分にトイレを増設するため一部壁面を壊した時の事。床を支える大きな梁が半分以上も腐っていて、今にも折れそうな状態に。長年の雨漏りが原因なのだが、壁中を伝っての現象だけに表面からはまったく気づかなかったのである。幅12センチ、厚み30センチ以上もありそうな木が、ここまで腐るとは思いもせず、もう少し発見が遅れていればそれこそ床が落ち、惨事につながるところであった。
たかが雨水されど雨水。気づかない所とは云うものの某かの信号は発せられていた。新築当初から多少の雨漏りがあり、何度か業者による手直しの経緯がある。プロがやっているのだからと安心していたのだが、どんな些細な事も見逃さず日々点検姿勢を保っていればもっと早くに見つかっていたはず。
だからと云う訳でもないが、現代では専門業者、或いはプロと云う言葉は半死語と考えるのが正しいのだろう。半死語つまり、半信半疑でしか付き合えないのが今の専門業者であり、職人のレベル。機器や素材の進歩とともに益々職人の手は低下し、素人並みの仕事しか出来ない。にもかかわらず口だけは達者。悲しい事だが「ごまかし?」のプロ集団と捉えておくのが正しい。木を真っ直ぐに切ることも出来なければ、寸法さえも測る事が出来ない人達が「棟梁」と呼ばれている現実を目の前にすると、言葉もない。当方が経験した例はごくわずかの職人だと思いたいが、しかしながら、昔ながらに阿吽の呼吸で体を通して受け継がれてきたこれまでの気質は、根気のない現代の若者達に求める事は無理なのだろうか。何もかもが工場生産され、現場では既製品を組み合わせるだけの時代なのである。
いけばなは個性が売り物。技術も多岐にわたるため伝承は困難を極める。年数を要すが、明日への伝統を築いていくためにも互いに努力したいものです。
寒ボケは花と茎の動きを捉え、必要に応じ撓めをきかせます。一枚のハランを面扱いにし、全体を引き締めますが、少し斜めで動きを。
華道専慶流 西阪慶眞