花材/ストレチア、ホーリー、ソリダスター、カイウ 花器/三口現代花器(トルコブルー) ポイント ホーリーはヒイラギに似た葉先の尖った艶やかな葉が特徴で幹に赤い実を沢山付ける。いけばなには緑葉と実を見せるが、集合だけでなく、茎の動きを随所に捉えた扱いが望ましい。勿論葉の多い所は整理して強弱を考え実と葉のバランスを整える。ソリダスターはマッスにして引き締め役に。
花材/ストレチア、ホーリー、ソリダスター、カイウ 花器/三口現代花器(トルコブルー)
ポイント ホーリーはヒイラギに似た葉先の尖った艶やかな葉が特徴で幹に赤い実を沢山付ける。いけばなには緑葉と実を見せるが、集合だけでなく、茎の動きを随所に捉えた扱いが望ましい。勿論葉の多い所は整理して強弱を考え実と葉のバランスを整える。ソリダスターはマッスにして引き締め役に。
花材/ユーホルビア、コチア、ガーベラ 花器/現代花器 ポイント ユーホルビアはわずかに茎がたわんでいますが、その曲がりを捉えて交差の面白さや作例のように一方向の流れにいけるのがいいでしょう。花はかなり下まで付いていますが、時には上だけにしか付いていない場合もあります。花付きの状況とにらみあわせて、他の配材を添え、ユーホルビアの花をできるだけ隠さないよう配慮します。また、葉はあまり多く残さないよう整理します。 切り口から乳液が出ます。水切りの後、手で拭っておくか、流水で洗い落としておくと長持ちします。
花材/ユーホルビア、コチア、ガーベラ 花器/現代花器
ポイント ユーホルビアはわずかに茎がたわんでいますが、その曲がりを捉えて交差の面白さや作例のように一方向の流れにいけるのがいいでしょう。花はかなり下まで付いていますが、時には上だけにしか付いていない場合もあります。花付きの状況とにらみあわせて、他の配材を添え、ユーホルビアの花をできるだけ隠さないよう配慮します。また、葉はあまり多く残さないよう整理します。 切り口から乳液が出ます。水切りの後、手で拭っておくか、流水で洗い落としておくと長持ちします。
気分が乗る暮らし 様々な思いで過ごした一年の時の重さは、今年も無くてはならない時として良くも悪しくもそれぞれに深く刻まれたことだろう。 自己主張が許されなかったひと昔前までの、全てを受け身でしか過ごすことが出来なかった時代を思えば、私達はなんと自由な現代社会の中に生きているのだろう。しかし、今、日本人は本当に自由を実感しているのだろうかと、ふと疑問をもつ。人間だから不平不満が積もり、精神衛生が悪化する事も多々生じる。突然健康を損ない、自由に動けなくなる事もある。はたまた、一生懸命努力してもその成果が出なかったり、自分の方が優れているのに他人が評価されたとか、前の車と同じように走っていたのに私だけがスピード違反で捕まった…。こんな暗い状況が続くと誰しも嫌気がさし、平常心を保つ事が難しくなるものだ。 人生は努力だけでは成功しない。努力したから幸福が来るとも断定出来ない。信念と成功、誠実と幸福はイコールで結ばれてはいないからである。プラス何かが必要なのだろう。働けど働けど収入に結びつかない、暮らしが楽にならないなども同じ事。ではプラスする要件ととは何なのだろう。一つは「運」「つき」である。つきのある時は何をやってもうまくいく。運のない時は事ごとく裏目に出る。神に頼る人もいるだろう。また、一方で、運やつきに頼らず、ひたすら努力と信念を貫き通す人がいる。そんな人は世の中の浮き沈みなどには無頓着で、一心に追い求める。画家などアーティストにそんな人が多いが、でも彼等もまた同じ人間、雑念が襲い掛かり、作品に集中出来なくなる事も多々おこる。むしろ彼等の業種ほど個性が強い分、葛藤は激しく、作品に影響をおよぼす。先日もある生徒が「先生はどんな花も自由自在にあやつられるからストレスなど溜まらないですね」と云う。とんでもない誤解である。確かに職人的な技量や素材を見る目は社中より優れているが、問題は思いどおりの作品が出来るかどうかであり、イメージ通り、或いは満足いく作品はなかなかいけられないものである。だから私だってイライラもするし、さじを投げたくなる時だって多々ある。スランプ?そんなのは何時もである。しかし、時としてとても気分良くいけられる時がある。そう、それは気分が乗っている時。気分が乗ると云う事は作品に対しても集中心が高まり、アイディアも次々に湧き出て来るのです。 この集中心を何時も高められるようにコントロール出来ればいいのだが、それが出来ない、それが凡人と云うもの。バレーの試合を観戦していて、サーブぐらい入れてよ…なんて傍観者は安易に思うが、やはりプレッシャーが大きく、ついつい力が入り過ぎ、オーバーしたりネットにかかる。大試合や、熱戦になればなるほど失敗する。それをクリアするのはやはり豊かな精神力(プラス、センス)である。精神を鍛えてこそ「自由」「勝利」に結びつくのだろう。 人生もまた同じ。運、不運などで自分を甘やかしていては自由は勝ち取れない。自由は自分との厳しい戦いでもあり、いかに冷静に自己をコントロールするかの鍛練であろう。 いけばな、華道はそんな精神修養の場であり、自分を見つめる場でもあるのです。花とのふれ合いで、花に教えられ、花に生かされている私の体験を一人でも多くの人と共有したいものです。 専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞
気分が乗る暮らし
様々な思いで過ごした一年の時の重さは、今年も無くてはならない時として良くも悪しくもそれぞれに深く刻まれたことだろう。 自己主張が許されなかったひと昔前までの、全てを受け身でしか過ごすことが出来なかった時代を思えば、私達はなんと自由な現代社会の中に生きているのだろう。しかし、今、日本人は本当に自由を実感しているのだろうかと、ふと疑問をもつ。人間だから不平不満が積もり、精神衛生が悪化する事も多々生じる。突然健康を損ない、自由に動けなくなる事もある。はたまた、一生懸命努力してもその成果が出なかったり、自分の方が優れているのに他人が評価されたとか、前の車と同じように走っていたのに私だけがスピード違反で捕まった…。こんな暗い状況が続くと誰しも嫌気がさし、平常心を保つ事が難しくなるものだ。 人生は努力だけでは成功しない。努力したから幸福が来るとも断定出来ない。信念と成功、誠実と幸福はイコールで結ばれてはいないからである。プラス何かが必要なのだろう。働けど働けど収入に結びつかない、暮らしが楽にならないなども同じ事。ではプラスする要件ととは何なのだろう。一つは「運」「つき」である。つきのある時は何をやってもうまくいく。運のない時は事ごとく裏目に出る。神に頼る人もいるだろう。また、一方で、運やつきに頼らず、ひたすら努力と信念を貫き通す人がいる。そんな人は世の中の浮き沈みなどには無頓着で、一心に追い求める。画家などアーティストにそんな人が多いが、でも彼等もまた同じ人間、雑念が襲い掛かり、作品に集中出来なくなる事も多々おこる。むしろ彼等の業種ほど個性が強い分、葛藤は激しく、作品に影響をおよぼす。先日もある生徒が「先生はどんな花も自由自在にあやつられるからストレスなど溜まらないですね」と云う。とんでもない誤解である。確かに職人的な技量や素材を見る目は社中より優れているが、問題は思いどおりの作品が出来るかどうかであり、イメージ通り、或いは満足いく作品はなかなかいけられないものである。だから私だってイライラもするし、さじを投げたくなる時だって多々ある。スランプ?そんなのは何時もである。しかし、時としてとても気分良くいけられる時がある。そう、それは気分が乗っている時。気分が乗ると云う事は作品に対しても集中心が高まり、アイディアも次々に湧き出て来るのです。 この集中心を何時も高められるようにコントロール出来ればいいのだが、それが出来ない、それが凡人と云うもの。バレーの試合を観戦していて、サーブぐらい入れてよ…なんて傍観者は安易に思うが、やはりプレッシャーが大きく、ついつい力が入り過ぎ、オーバーしたりネットにかかる。大試合や、熱戦になればなるほど失敗する。それをクリアするのはやはり豊かな精神力(プラス、センス)である。精神を鍛えてこそ「自由」「勝利」に結びつくのだろう。 人生もまた同じ。運、不運などで自分を甘やかしていては自由は勝ち取れない。自由は自分との厳しい戦いでもあり、いかに冷静に自己をコントロールするかの鍛練であろう。 いけばな、華道はそんな精神修養の場であり、自分を見つめる場でもあるのです。花とのふれ合いで、花に教えられ、花に生かされている私の体験を一人でも多くの人と共有したいものです。 専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞
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