花材/コデマリ、ストレチヤ、カーネーション ポイント コデマリは4月の開花期だが、加温して2月頃から出荷されている。路地ものと異なり花首が少し長く、やや弱い感じがするものの、枝垂れた流れには陽春ののどかさを感じさせてくれます。作例は「内陽流し」の逆留形式。ストレチヤの花と葉に力を持たせ、広げないよう中心部でまとめます。
花材/コデマリ、ストレチヤ、カーネーション
ポイント コデマリは4月の開花期だが、加温して2月頃から出荷されている。路地ものと異なり花首が少し長く、やや弱い感じがするものの、枝垂れた流れには陽春ののどかさを感じさせてくれます。作例は「内陽流し」の逆留形式。ストレチヤの花と葉に力を持たせ、広げないよう中心部でまとめます。
ポイント お雛様の花で親しまれる「桃」は、梅の「ずあい」と同様、昨年に伸びた徒長枝を加温して出荷しています。したがって枝は若く、真直ぐで変化がありませんが「女の子がすくすく育つように」との願いから、勢いよく少し長めにいけるのです。 作例の素材は徒長枝ではなく、庭木を切ったものです。開花期も3月20日頃で、そろそろ他の木々にも若葉が出る頃です。そんな季節を反映させて「山梨」の若葉と混ぜいけ手法をとり、フリージヤを添えて明るい表情を捉えています。
ポイント お雛様の花で親しまれる「桃」は、梅の「ずあい」と同様、昨年に伸びた徒長枝を加温して出荷しています。したがって枝は若く、真直ぐで変化がありませんが「女の子がすくすく育つように」との願いから、勢いよく少し長めにいけるのです。
作例の素材は徒長枝ではなく、庭木を切ったものです。開花期も3月20日頃で、そろそろ他の木々にも若葉が出る頃です。そんな季節を反映させて「山梨」の若葉と混ぜいけ手法をとり、フリージヤを添えて明るい表情を捉えています。
私と犬の付き合い 一大産業にもなるほど、空前のペットブームになっている。私も犬を飼って50年、すでに五代目。野良犬を拾って来たのが最初の付き合いだったが、以来、犬も家族の一員。寿命は精々14〜15年なので年老いて徐々に弱っていく姿を見ているのが辛く、その度にもう犬は飼わないと心に決めるのだが、気が付けば子犬が傍にいると云った繰り返し。何故そんな思いをしてまで飼うのか、やはり好きであることと、良き話し相手となってくれるからであろう。これまで飼ってきた犬は、種類も大きさも異なるが、共通点は目が可愛く、甘えてくる時のしぐさは格別。長年付き合っていると目を見れば何を訴えたいのかがつぶさにわかる。食べ物が欲しいとき、一緒に遊んでもらいたい時など、千変万化に変わる目は、信頼関係を一層深め、目で会話するようになる。とくに外出から帰宅したときの迎えの目は格別で、尾っぽを振り振り、目尻を下げ、澄んだクリクリした瞳を輝かせる。不思議な事に、数百メートル手前から私が帰宅する事を察知して吠え、玄関を見据えて私を迎えるのです。それも歩いて帰る時だけではなく、車のときも同じ、2〜3分前の距離から迎えの行動をとると云うのだから驚きです。靴音やエンジン音を聞き分けているのでしょうか、 その事実を知らされると更に愛おしく思えます。 犬も体調を崩す時があり、そんな時は何時もと違って小屋から出て来ません。無論、帰宅時の迎えもありません。そんな日は何か心に隙間が出来たような感覚になるもので、ついつい小屋に駆け寄ります。するととても哀しい目をするのですが、もうそんな時は大変です。相手は言葉が話せないのですから精一杯私に涙目で訴えるのです。また、私は春ともなれば朝食は決まってベランダに出て、庭木の中でパンとコーヒーの時間を楽しみますが、そのひと時を犬もとても楽しみにしていて、私が庭に降りるまでドアの前で待っています。この時間がどんなに私の心を豊かにしてくれる事か、癒しなんて言葉では言い表せない感謝の時を過ごすのです。 そんな喜怒哀楽を共にするペット。犬を飼えば散歩に連れて行くのが普通ですが、我が家ではほとんど行きません。散歩は犬のストレス解消と用便、運動のために欠かせませんが、庭の一部を解放し、十分に運動出来るスペースを与えているので、散歩の必要はないだろうと考えています。夏になると、庭のあちらこちらに蚊取り線香を置き、さらに電気虫取り器のスイッチを入れ、蚊が寄らない策をとります。同じ蚊取り線香では効果が下がるので時々メーカーを替えます。勿論定期的なシャンプーも欠かせません。 ペットを飼っていて一番厄介なのは数日留守をするときです。二食の食事と水の問題。犬のホテルもありますが、ストレスをためさせるので預けた事はありません。試しに数カ所に分けて餌を置いておくと、案外、時間をおいて食べているのが判明し、助かります。 ペットは安易に飼うものではありません。彼らにもれっきとした自由な権利があり、飼い主はそれを満たしてやれる様々な条件を備えている事が第一でしょう。エゴや癒し、番犬だけの目的で、ややもすると日も当たらない狭い小屋に閉じこめた飼い方には疑問が残ります。 人とペット、それはいけばなと同じで、暮らしを豊かにするためにも良い関係が保たれるといいですね。 専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞
私と犬の付き合い 一大産業にもなるほど、空前のペットブームになっている。私も犬を飼って50年、すでに五代目。野良犬を拾って来たのが最初の付き合いだったが、以来、犬も家族の一員。寿命は精々14〜15年なので年老いて徐々に弱っていく姿を見ているのが辛く、その度にもう犬は飼わないと心に決めるのだが、気が付けば子犬が傍にいると云った繰り返し。何故そんな思いをしてまで飼うのか、やはり好きであることと、良き話し相手となってくれるからであろう。これまで飼ってきた犬は、種類も大きさも異なるが、共通点は目が可愛く、甘えてくる時のしぐさは格別。長年付き合っていると目を見れば何を訴えたいのかがつぶさにわかる。食べ物が欲しいとき、一緒に遊んでもらいたい時など、千変万化に変わる目は、信頼関係を一層深め、目で会話するようになる。とくに外出から帰宅したときの迎えの目は格別で、尾っぽを振り振り、目尻を下げ、澄んだクリクリした瞳を輝かせる。不思議な事に、数百メートル手前から私が帰宅する事を察知して吠え、玄関を見据えて私を迎えるのです。それも歩いて帰る時だけではなく、車のときも同じ、2〜3分前の距離から迎えの行動をとると云うのだから驚きです。靴音やエンジン音を聞き分けているのでしょうか、 その事実を知らされると更に愛おしく思えます。 犬も体調を崩す時があり、そんな時は何時もと違って小屋から出て来ません。無論、帰宅時の迎えもありません。そんな日は何か心に隙間が出来たような感覚になるもので、ついつい小屋に駆け寄ります。するととても哀しい目をするのですが、もうそんな時は大変です。相手は言葉が話せないのですから精一杯私に涙目で訴えるのです。また、私は春ともなれば朝食は決まってベランダに出て、庭木の中でパンとコーヒーの時間を楽しみますが、そのひと時を犬もとても楽しみにしていて、私が庭に降りるまでドアの前で待っています。この時間がどんなに私の心を豊かにしてくれる事か、癒しなんて言葉では言い表せない感謝の時を過ごすのです。 そんな喜怒哀楽を共にするペット。犬を飼えば散歩に連れて行くのが普通ですが、我が家ではほとんど行きません。散歩は犬のストレス解消と用便、運動のために欠かせませんが、庭の一部を解放し、十分に運動出来るスペースを与えているので、散歩の必要はないだろうと考えています。夏になると、庭のあちらこちらに蚊取り線香を置き、さらに電気虫取り器のスイッチを入れ、蚊が寄らない策をとります。同じ蚊取り線香では効果が下がるので時々メーカーを替えます。勿論定期的なシャンプーも欠かせません。 ペットを飼っていて一番厄介なのは数日留守をするときです。二食の食事と水の問題。犬のホテルもありますが、ストレスをためさせるので預けた事はありません。試しに数カ所に分けて餌を置いておくと、案外、時間をおいて食べているのが判明し、助かります。 ペットは安易に飼うものではありません。彼らにもれっきとした自由な権利があり、飼い主はそれを満たしてやれる様々な条件を備えている事が第一でしょう。エゴや癒し、番犬だけの目的で、ややもすると日も当たらない狭い小屋に閉じこめた飼い方には疑問が残ります。 人とペット、それはいけばなと同じで、暮らしを豊かにするためにも良い関係が保たれるといいですね。
私と犬の付き合い
一大産業にもなるほど、空前のペットブームになっている。私も犬を飼って50年、すでに五代目。野良犬を拾って来たのが最初の付き合いだったが、以来、犬も家族の一員。寿命は精々14〜15年なので年老いて徐々に弱っていく姿を見ているのが辛く、その度にもう犬は飼わないと心に決めるのだが、気が付けば子犬が傍にいると云った繰り返し。何故そんな思いをしてまで飼うのか、やはり好きであることと、良き話し相手となってくれるからであろう。これまで飼ってきた犬は、種類も大きさも異なるが、共通点は目が可愛く、甘えてくる時のしぐさは格別。長年付き合っていると目を見れば何を訴えたいのかがつぶさにわかる。食べ物が欲しいとき、一緒に遊んでもらいたい時など、千変万化に変わる目は、信頼関係を一層深め、目で会話するようになる。とくに外出から帰宅したときの迎えの目は格別で、尾っぽを振り振り、目尻を下げ、澄んだクリクリした瞳を輝かせる。不思議な事に、数百メートル手前から私が帰宅する事を察知して吠え、玄関を見据えて私を迎えるのです。それも歩いて帰る時だけではなく、車のときも同じ、2〜3分前の距離から迎えの行動をとると云うのだから驚きです。靴音やエンジン音を聞き分けているのでしょうか、 その事実を知らされると更に愛おしく思えます。 犬も体調を崩す時があり、そんな時は何時もと違って小屋から出て来ません。無論、帰宅時の迎えもありません。そんな日は何か心に隙間が出来たような感覚になるもので、ついつい小屋に駆け寄ります。するととても哀しい目をするのですが、もうそんな時は大変です。相手は言葉が話せないのですから精一杯私に涙目で訴えるのです。また、私は春ともなれば朝食は決まってベランダに出て、庭木の中でパンとコーヒーの時間を楽しみますが、そのひと時を犬もとても楽しみにしていて、私が庭に降りるまでドアの前で待っています。この時間がどんなに私の心を豊かにしてくれる事か、癒しなんて言葉では言い表せない感謝の時を過ごすのです。 そんな喜怒哀楽を共にするペット。犬を飼えば散歩に連れて行くのが普通ですが、我が家ではほとんど行きません。散歩は犬のストレス解消と用便、運動のために欠かせませんが、庭の一部を解放し、十分に運動出来るスペースを与えているので、散歩の必要はないだろうと考えています。夏になると、庭のあちらこちらに蚊取り線香を置き、さらに電気虫取り器のスイッチを入れ、蚊が寄らない策をとります。同じ蚊取り線香では効果が下がるので時々メーカーを替えます。勿論定期的なシャンプーも欠かせません。 ペットを飼っていて一番厄介なのは数日留守をするときです。二食の食事と水の問題。犬のホテルもありますが、ストレスをためさせるので預けた事はありません。試しに数カ所に分けて餌を置いておくと、案外、時間をおいて食べているのが判明し、助かります。 ペットは安易に飼うものではありません。彼らにもれっきとした自由な権利があり、飼い主はそれを満たしてやれる様々な条件を備えている事が第一でしょう。エゴや癒し、番犬だけの目的で、ややもすると日も当たらない狭い小屋に閉じこめた飼い方には疑問が残ります。 人とペット、それはいけばなと同じで、暮らしを豊かにするためにも良い関係が保たれるといいですね。
専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞