残り六キロ辺りで突然のラストスパート。ここまで併走してきたランナーを振り切り、やがて夢を奪った坂道へと差し掛かる、表情は変わらない。ただ一歩ずつゴールへと向かう姿に言葉にならない感動を覚えた。20日、東京国立競技場を発着点とする東京国際女子マラソン、高橋選手復帰瞬間の出来事。ゴールへのあの長い道のりをテレビの画面を通して見続けた人々も、そこに彼女の積み重ねてきたこの二年の挫折と、苦悩、試練の時間をオーバラップさせ、優勝を一緒に歓喜した人も少なくないだろう。
42.195キロを走り抜けた直後のインタビューに応えた言葉、そこには彼女のありのままの姿、思いが込められていた。二年前、この大会で優勝を目前にしながら坂道での失速、その結果、目標としていた五輪への切符を得られず、引退さえ考えたと言う。しかし失敗したまま終わりたくない。その時から止まってしまった時間は、この道を乗り越える事でしか再び新たな時を刻むことは出来ないときっぱり決意。自分の選んだ道を楽しみながら走り抜け、この二年間を振り返り、彼女は云う。「小学生も中学生も、50代60代の中高年の人も皆平等に与えられた24時間をどう過ごすか。夢を持って、今日一日を精一杯大切に生きる事が、実現へと繋げる第一歩。夢は諦めないで、頑張れば叶う物だと言う事を、私はこうして自分が走ることで、今悩んでる人達に、夢を諦めようとしている人達に伝えたかった…。この二年と言う時間は、今の自分の為に、自分の人生に決して無駄な時間では無く、多くの事を学び、出会った多くの人々の優しさに触れる事が出来た、無くてはならない時間だった。この時間があったから今ここに立っている…」こう語る彼女の心からのメッセージは、とても明るく、淡々としていて、まさに素晴らしい人間模様を垣間見せてもらったことだった。だが、実況後にこの言葉を見聞きすることはほとんど無かった。マスメディアはこうした心の内面、自分との戦いなど、心の推移についてはあまり取り上げてはいない。実は表面的報道だけでなく、内面の報道はとても重要なのではないだろうか。とくにこの混沌とした時世では、明るい報道の裏事情も正しく伝達することで、より一層、人々の感動の心を揺さぶるはずである。心のままの感動は、夢や、勇気や、力を与えてくれる。頑張って見よう、前向きに努力してみようと言うエネルギーを与えてくれるから。私達がそれを知る事ができる限られたメディアだからこそ、単なる結果だけではなく、その瞬間の言葉を大切に伝えて貰いたいものである。優勝の喜び、ゴール寸前の映像報道は当然だろう。苦難の末の優勝ならなおさらメディアはその快挙を高らかに報ずるべきである。次はオリンピック復活!更なる夢への挑戦と。しかし、彼女が伝えたかったもう一つのメッセージ「なせば成る」こそ、私達には大切なものでは無かったか…。
一つの花を通して伝えたい事、作品を前にその場限りの感動を与えるのではなく、植物と云う命の営み、そして生ける者の心との出会いが作り出す空間。その中には常に葛藤があり、生ける苦しみが伴うが、だからこそ、素直に自分を見つめる機会と、自分を研く場がある事を知って貰いたいものである。
専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞