昨年は想定外の暗いニュースで明け暮れた。これらは、人が普通に生きる事がいかに困難な時代になったかを突き付けている。そんな暗い世相を払拭したい願いが込められたのか、今年の勅題は「笑み」。心から笑える明るい暮らしは万人の願い。そのためには、一人ひとりの自然と共に歩む「共生自覚」、家庭での会話、コミュニケーションは不可欠であろう。
農耕民族である日本人の知恵として、一年に二十四の区切りをつけて、季節の推移を表し、その区切りを「節句」と云い、種を蒔いたり、耕したり、収穫をし、その間にそれぞれの祝いや、感謝を表す目安とした。その区切りは一方では民衆の愛和を育み、文化を育む事にも繋げて来たのである。
そう云えば、私達は日々の生活の中でそれぞれの大切な思い出の日を記念日として心に留めている。誕生日に始まって七五三や入学、卒業、就職、結婚…と言った一般的な記念日もあれば、特別な賞を貰った日、何かを成し遂げた日…など自分の人生の中で特別な出来事、出会いのあった日も大切な記念日である。しかし、記念日の内容は必ずしも良いものだけとは限らない。悪しき思い出も、その日をターニングポイントとして日々努力を積み重ねて来たからこそ今日があり、決して忘れる事の出来ない日と心に刻んでいる人もいるはず。記念日は過ぎてしまった単なる一日ではなく、そこからまた何かが始まる、記憶に留めて置くことが思わぬ明日へのエネルギーを与えてくれることにも繋がって行くように思える。
記念日に関して先日こんな話しを聞いた。一般的に、男性は記念日を重視するよりも、今と言う現実に重きを置き、どちらかと言うと忘れがちであるらしい。反対に女性は記念日を殊更に重要視するのだとか。困ったことにそれが結構トラブルの元となってしまうことが多々あるようで、笑い話ではなく、大切な記念日を忘れていたからと言う理由で二人のさよなら記念日?に変わってしまったと言う事が少なくないらしい。
さて、あなたは家族をはじめ、自分に関わる様々な人達との特別な記念日をどのくらい覚えているだろう。記念日に意味があるとか無いとかではなく、その日を大切に思う事が、人を大切に思う事へと繋がるのであるならば、記念日大賛成です。更に、様々な記念日と花は切っても切れない関係にある…と言うよりもそれぞれの記念日の花は一層の意味を持つ。お正月の松竹梅に始まり、節分のヒイラギ、桃の節句の桃、端午の節句の菖蒲、七夕の笹、十五夜のススキ…。四季のある我が国だからこそ、それぞれの記念日に応じて季節の彩りを添える事が出来るのです。せめて一年を通し伝統行事として暦にあるそれぞれの祝祭日には、昔ながらの花を添えるひと手間を惜しまず、その風情、心を家族で楽しんで見てはどうだろう。伝えられて来た古くからの習わしを後の世に伝えて行くのは、特別な人ではなく、私達一人ひとりであり、家庭の暮らしの中で自然に伝えて行くべきもののように思える。自然を大切にする心や、様々な風習や伝統は日々の暮らし、家庭内で「知恵」として身につけて行く事こそが大切なのではないかと思うのです。人としての優しさや思いやりは机の上で学ぶべきものではありません。家族、親子、隣人、職場、そして自然との融合をはかればおのずと笑みは生まれるのです。手にする一輪の花も同様で、生き生きと応えてくれるはずです。