●2006年4月1日発行/専慶流いけばな真樹会主宰・西阪慶眞
この時期、花木類が一斉に顔を出す。桃、桜、スモモ、花梨、モクレン、ボケ、ライラックなど。作例は梨の花だが、純白で結束する小花はとても可愛い。難点は幹が真直ぐで面白さに欠けるため、花に焦点を合わせた構成をとる。深紅の紅ガシワを上部に配し、シンプルな表情をねらっています。
紅ガシワは4月中旬頃、紅い新芽を出し、青空に映えた鮮やかな色が印象的。昨年伸びた枝に若葉を付けるので茎は直線的。花屋に出回ることは少ない。梨の花とともに裏庭で採取したもの。
花材/紅がしわ、梨 花器/西阪慶眞デザイン
銀ネズミ色の若葉が美しい山梨。締まった素材は茎にも味があり、少し太めの茎部分を生かし、力強さをねらいます。しかし最近出回る素材は若木が多く、単純。このような素材では幹を撓め、動きと変化をもとめ、軽快感を表出させます。
洋花との出合も馴染みがよく、明るい春の色花と組み合わせます。
花材/山梨、バラ、ブルーファンタジー
ところで最近の台所事情には驚かされる事が多々ある。薪を焚き、煮炊きしていた時代から思えば、ガスを使った生活は画期的な変化だった。そして今はその炎も見えないスッキリしたIHで…と言う設備のバージョンアップは、調理する者にとって更なる創作意欲を掻き立てる素晴らしい環境である。しかし、一方では随分違った現象もある。まな板、包丁と言った最低限の台所用具さえ無い家庭があるとか。「鋏は使いよう」とでも云いたいのだろうか、調理は鋏一丁で済ませる事が現代風だと思っている若者が出現。鋏は使い慣れているから調理も楽にできる、包丁は危険で上手く使いこなせない、まな板は不衛生と云うのが主な理由らしい。そして、挙げ句の果てに、今は買い物に出ればどの段階の調理品も全て揃っている…と若い主婦が平然と言う。奇麗にリフォームした台所を汚すまいと、魚を焼いたり揚げ物は一切しない「ばか者!」。こんな相手には説教する気力さえ失せてしまう。しかし、この現象を他人事と放置すれば、ばか者が増殖する危惧があり、ましてや、このような環境で育つ子供達の将来を思えば見てみぬ振りもできない。 食は私達の大切な文化であり、世界でも有数の質の高い洗練された味覚を、目で、そして心で感じながら、四季折々の旬を賞味してきた崇高な民族である。そのありがたさに麻痺してしまったのか、ひとときの贅沢や味わうゆとりさえも放棄し、単なるエネルギーに変える養分として、口に運べばそれでいいと論理を展開。最先端の台所は見栄の象徴と化す。 間もなく旬を迎えるタケノコ。放っておいてもタケノコは出る。しかしそれでは硬く食感が悪いので土入れや藁を敷くなどの工夫をし、大切に育てる。収穫期には朝早くに竹林を歩き、まだ土から顔も出さない若いタケノコを掘り起こす。早朝に掘り起こすのは、生長が早いことからであり、少しでも気温の低い時間に収穫し、鮮度を維持させるため。良質のものは刺身として食べたり、薄い出汁で味付けしたものに鰹削り節をかけて食し、食材本来の持ち味を楽しむ。勿論茹で方も、何気なく茹でればいいと云う訳ではない。このように、旬の贅沢な味は、一連の工夫と惜しまない人々の愛と力の結集。「おふくろの味、我家の味」はまさに親子の絆にもなったのです。表面には見えない手間ひまなくしてはありえません。 皮を剥くその作業さえ煩わしいと云う人にはもはや旬の味など見分けもつかないほど口は鈍化し、調理したタケノコを買ってくる人が年々増加。茹で方さえ知らないというお粗末さを、単に時代の流れと安易に流すわけにはいかないのは、日本色放棄の危機は食にも及んでいるからなのです。近代化の大きな落とし穴、何時になれば目がさめるのだろう。 先ほど、日本野球が世界一に輝いた。日頃顔も合わさない選抜選手での今回のチーム。にもかかわらず、後半には見事に心一つに結束し、勝利を勝ち得た意義は大きい。腕力にものを言わせたホームランで点をとる個人を全面に出した大味な野球ではなく、小さな力の積み上げで得点をかせぐ今回の日本チームには繊細な国民性が試合の随所で功を奏し、確かな結果をもたらした。大きな拍手を贈りたい。
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