稔りの秋を迎えた。京都では稲刈りが急ピッチで進められ、山々では実物が熟し、いよいよ秋色を深める頃となった。それにしても残暑は厳しく、衣替え季節が過ぎても夏服姿のままで、身体だけでなく感覚さえもおかしくなりそうな異常気象に侵されている。
考えてみれば4月になっても暖房を切れずにいたかと思えば、夏には高温多湿のサウナ風呂漬けという極端な寒暖差。三寒四温や五風十雨という穏やかな時候はここ数年久しい。おかげで個々にいだく豊かな季節感も麻痺し、草原を吹き抜ける爽やかな風、コスモスの群が穏やかに揺れ、透き通る青空にススキの穂が光る…といった優しい風景に馴染んだあのゆったりした季の推移が懐かしい。あわただしく揺れる社会情勢に振り回されるだけでなく、人々はそれでなくとも季にうとく、そこえもって来ての異常気象は益々「季感」という日本独自の感覚までも奪い去ろうとしている。
幸いにしていけばな人は常に季と共に歩む。ススキの穂がキラキラ光り輝く銀世界、さんきらいの実が紅く染める微妙な色の推移をすばやくキャッチ。多忙な時間を割いてでもひとときを美に向けるゆとりを持つ。まさに螢雪の功による徳性である。外部要因に左右されない純眞無垢な境地もまた、我々自慢の習性である。この慧眼(けいがん)を暮しのいけばなに発揮し、ひいては季の心を家族全員に分かち合いたいものである。
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十月の花材は実物が代表する。柿、ざくろ、紫式部、深山南天、さんきらい、つるうめもどき、さんざし、フォックスフェイス、桐、野いばら、みかん、藤豆、オクラ、ヒマワリ、ハブチャ、まゆみ、キウイ、じゅずだま…。
自然調、現代調いづれの傾向にも使え、和洋を問わない自在性を備えている。扱い上でのポイントをまとめると次の通りである。
1、実そのものに焦点をあてる。実がぼけて見えるのではこまる。実の近くの葉は整理しておく。また実の付いていない枝先は切り捨て、実を目立たせる。
2、幹をいかす。草物はともかく、木物は枝取りがカギになる。横枝を不要意に切るのではなく、実の付き具合を考慮し、豊かな枝の表情を見い出す。そのため、時には真っ直ぐな枝先を落し、横枝を主枝に配すことが少くない。
3、実は多ければ良いというものではない。少ないより多いに越した事はないが、多いために個性を損失させる場合もある。実の配分にも強弱をもたせる適度な整理がほしい。
4、配材はシンプルに。和洋いづれの花材も調和するが、実を引き立たせるための補足素材と考え、あっさりした配材を選ぶのがいいのです。
華道専慶流 西阪慶眞
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