ふと何処からか流れて来た音楽に、元気を貰ったり、様々な思い出が蘇ってくると言う経験をした人は少なくないだろう。その反対に嫌いな音楽に耳を塞ぎたくなった事もあるのでは。個人の好き嫌いに関わらず、私達の日々の生活の中には沢山の音楽が溢れており、一日中全く音楽を耳にしない日などない。そう言い切れる程、今ではあらゆる場面で音楽は流れ、生活に馴染んでいる。
しかし、私の子供の頃にはAMラジオがやっとであった。レコードは竹針と言う蓄音機でさえ保有するのは限られた人だけだった。その後、ダイヤモンド針が一般化し、音質は飛躍的にアップ、ステレオが主流となった。やがてオリジナルな音源収録機としてオープンデッキが出現し、70年代に入ると、小型化したカセットテープが浸透。90年代にはMDやCDに移行、音源は益々身近に。そして、数年前からアメリカ生まれのアイポッドが登場、厚さ5ミリ、名刺サイズの本体になんと二千曲以上も収録可能で、何処にいても選曲して聴く事が可能と云う時代に。この機器の利点は今までのオーディオにつなぐ事をはじめ、車でも、そしてイヤホンを使用して通勤途中など、何処ででも自由に聴けると云う点である。
話しを戻すが、偶然に流れていた音楽は、そのまま大切な思い出と重なり記憶されて行く。昭和の日本、戦後復興の中にも音楽が有り、貧しく苦しんでいた日々に心癒してくれた歌手が、そして歌があったと言う。人の心を打つ音楽は、どんなに時が流れても色褪せる事無く、そのまま、その時代の人々の心を変わらず打ち続けるものだと私には思える。
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人々の心を癒し、仕事をやる気にさせたり、病んだ心を穏やかに慰めたり、時には動植物に聴かせる事によって良質な物の生産にも繋がっているのだとか。そう思えば、単なる音の連なりと言うのでなく、オーバーだが、ある意味、人にとっても社会と言う大きな組織にとっても、音楽は明日を、未来を生きて行く為に無くてはならない栄養剤なのかもしれない。 こんな60代半ばの知人が居る。足腰の痛み、体力の衰えと向き合いながらそれでも自転車で通勤の毎日。いつも笑顔でにこやかに周囲を笑いの渦へと誘っている彼女の活力剤は音楽。クラシックからニューポップスまで何でも良い、その時々好きになった物が一番。今は何と20代の外人男性歌手にはまっている。若い子達に混じってコンサートで手を振り、踊り…毎朝出勤前には、彼の歌を耳に華麗にステップを踏み「さあ、今日も頑張ろう!」と心奮い立たせて出掛けるのだと満面の笑顔で言う。歌を聴いている間に、外国語も少しずつ理解出来る様になったと言う、音楽との素敵な空間を楽しんでいる彼女は年齢を感じさせない。
時には心地良いメロディーを聴きながら、好きなコーヒーを片手に深呼吸したり、本を読んだり…私好みの穏やかな空間確保。音楽は心のリフレッシュに多いに役立っている。
忙しく時間に追われる日々だからこそ、時には好きな曲を耳に、勝手気ままに花をさわり、心無にする事も必要なのでは。テレビよりラジオの方が動的で「ながら」族には好メディアなのかも。
華道専慶流 西阪慶眞
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