「光陰、矢の如し」…アメリカのマンハッタンを襲た爆破テロ事件、イラク戦争の勃発、神戸の大震災、様々な国と地域が遭遇した想像を超えた災難…私達の記憶の中に鮮明に記憶されている。しかし、過ぎた時間を思うと、改めて時の流れの速さに気づかされる。人々は、過去を振り返り「アッと言う間だった」「長かった」…どう思っているのだろう。目的を持って手応えを感じながら積み重ねて来た時間、偶然か必然かはともかく、満たされた今に向かって過ごした時間、準備され与えられた空間に順応して生きてきた足跡、思いとは違った境遇に苦悩の時を過ごした悪夢の時間…など、それぞれの人生、様々な時間の捉え方、感じ方があるに違いない。しかし、平等に与えられた時間は、境遇だけではなく、その過ごし方、捉え方一つで、その時間の持つ意味は全く違った物になるのもまた事実。
新しい年を迎え、心新たにスタートを切った2007年も早や二月。過ぎたこのひと月に届くニュースのあまりにも悲惨な事件の多さに驚くばかり。人の心は、何処に向かって流れているのだろうか。先日初老男性のこんなコメントを耳にした。「自分達の子供の頃には、人の体は、手足の爪先、髪の毛一本にいたるまで魂が宿っている神聖な物だから、自分の体も、人の体も決して疎かにしてはいけないと教えられて来た。目を、耳を覆いたくなる様な事件が平然と繰り返されている事が、同じ人間の手によって起こっている現実が受け止めきれない…」と。私達はその繰り返されるニュースに、いつの間にか「また」と、徐々に慣らされてはいないだろうか。初めて耳にした時の背筋凍る思いが、いつか特別な事件ではなくなり、慣れと言う怖さへと移行する懸念さえ感じる。確かに人は追いつめられると、平常心を失い想像を超えた行動に出る事はあり得る。 |
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しかし、このエネルギーは悪い方向だけではなく、開き直りとでも言おうか、発想転換で新たな道を切り開くという良い方向に働く可能性も持っている。良い方向へ向かうのも、悪い方向へ向かうのも人の心次第。様々な事件を思う時、何故負の道を選ばなければならなかったのだろうか。どの事件を見ても「満たされぬ思いを満たす為の行為の結果」だと結論づけられている。しかし、今生きている誰一人として真に満たされていると満足している人はいないだろう。人は欲深いもの。常に今以上であれば…と何事に対しても心のどこかで望んでいる。しかし、それを満たす手段、思いの違いが様々な結果を導きだすのだとすれば、これは大きな問題。満足する事を知っている者は、たとえ経済的に貧しくても、精神的には富んでいる意の「足るを知る者は富む」と言う老子の言葉は化石と化してしまったのだろうか。
今、私達が忘れてはならない事はなんだろう。人はそれぞれに生きる社会を持っている。今自分の立っている場所が自分に与えられた場所ならそれを受け止め、自分の人生に対して無理強いをするのではなく、また、諦めるのでもなく、そこから一歩ずつ自分の努力の積み重ねで新しい空間を切り開こうとする、前向きの姿勢を忘れない事ではないだろうか。
時間、トキは、一時も止まることなく、同じリズムで刻まれ続けて行く。過ぎて来た時間は記憶に残され、今生きているこの時間がその記憶を作り、訪れるはずの未来の時間は記憶を記して行く為に与えられる白紙。この白紙にどんな人生を描こうとするのか。壮大な夢を追い求めていれば、日々の健康面にも大きな力となるのでは。
華道専慶流 西阪慶眞
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