バックを片手に、真新しいスーツ姿の若者が格好良く見えるこの時期ノ。入社式からひと月、さて新社会人は、どのように磨きがかけられたのだろう。何気なく見つめていたのだが、次の駅で若者の友人らしき人が乗って来た。二人の間に始まった会話の、スーツ姿とは不釣り合いなあまりな言動に、それまでの凛々しさは何処へやら。社会人になったからと言って、それまでの生活習慣からの急な脱皮は無理だろう。しかし、自分の意識の中で、心構えとして、もう子供では無い、人に保護されて生活するのでは無く、一人の良識ある大人としての立ち居振る舞いが必要であると言う事、自分の言葉と行動に責任を持たなくてはならない事に気づいて貰いたいものである。辺り構わず大きな声で聴くに堪えない乱れた言葉や内容は空気を一変させてしまう。周囲への気配りは大人の第一歩。
先日、ある病院の朝のミーティングに、新人看護師の指導について次のような伝達事項があった。「今年度の看護師は気が弱く、きつく叱るとすぐに落ち込んで辞めると言い出すから、叱らないで優しく接してあげて下さい」と言うのだ。人を育てるのは人であり、時には厳しい言葉での指導も、緊張感やその人の成長の為には無くてはならないと思うのだがどうだろう。ましてや、人の命に関わる現場での仕事、だからこそ、厳しく、そして優しく愛情をもって指導し、経験を積ませ、厳しい現実に身体をはって向き合ってもらう向上心の育成こそが重要なのでは。
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最近のニュースを耳にする度に、人の人としての優しい心は何処に行ってしまったのだろうと、悲しくなる事が多い。先日も手間暇掛けて育てられ、やっと開花を迎えたチューリップの花首が折られると言う事件が起きた。それも一件では無い。チューリップの無惨な姿に、他の農家から改めて贈られたチューリップまでもが折られてしまった。その行為に走った人の精神は到底常識では考えられない。ほんの悪戯心では済まされない。チューリップ事件だけでは無く、善光寺の文化財への落書き等々、日々起こる様々な事件を目に、耳にする時、そこに自分の欲求を満たす為には、何事もお構い無しノと言う風潮など、余りにも我が儘で身勝手な世相が見えてくる。決して人事では無い。多くの人と関わりながら生きて行く私達一人一人がしっかりと社会の一員であり、互いに影響し合って、ともに生きている事を学ぶべきであろう。悲惨な事件を嘆き悲しんでいるだけではいけない。自らの姿勢を振り返り、未来に向かってどうあるべきか、まず家庭や学校、職場の中から再度考え直すべきではないだろうか。
華道専慶流 西阪慶眞
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