何気ない毎日…何年間も通い慣れた通勤路を自転車で走っていた。突然、自転車のまま路上に転倒。一瞬何が起こったのか理解出来なかったそうだが、原因は、あるはずも無い拳二つ分くらいの大きさの石に乗り上げてしまったらしい。舗装された道路、明らかに街路樹の植え込みからの物ではなく、故意に置かれたのか…。通勤時間には、歩く人、自転車で通過する人、多くの人がそこを行き来している。痛みを我慢しながら、同じ事が起こらぬ様にと石を拾い上げ、街路樹の植え込みの中に片付け病院に向かったらしい。転んでしまった結果に、「やっぱり駄目だね。何となく優れない体調、時折出勤が億劫に成る事がある。今日もそうだったから、気が緩んでいて罰が当たったのだろうね。でも、石に気づいた人は沢山いたはずなのに、どうして誰も片付けなかったのかなぁ…」と、六十歳半ばの彼女が言った。後日職場に復帰した彼女に「私も見たけど、あの石に乗り上げたの?」の何人もの同僚の言葉に、気づいていたなら何故片付けなかったの?と、改めてショックを受けたそうである。何処にでもありがちなこの出来事、見方を変えれば誰もが転倒する可能性を持っていた事になる。
さて、彼女が言った気の緩みは、「病いは気から」の言葉に象徴される様に、人は気持ちの持ち方一つで、時には人生をも変えてしまう程の影響を受ける。確かに、落ち込んだ気分でいれば、何をしても何を見ても心は高揚しない。反対に気分が良ければ陽気に、前向きに成れる。これは誰もが日頃から様々な場面で体感していること。実際に脳の働きを調べた実験でも、次の様な結果が出ている。映画やアニメ等を見る時、意図的に口をへの字にしたり尖らせたり硬い表情で鑑賞させていると、普通なら誰もが笑う様な場面でも笑いは起こらず、反対に、にこやかな顔で見ていると、自然に笑いが起きてくると言う。
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この結果から考えると、少々難しいかもしれないが、感情は自分の心次第で、ある程度のコントロールが出来ると言う事に成るのかもしれない。日々様々な暗く成りがちなニュースを前にして、簡単には解決出来ない問題に、どうした物かと神経質に考え悩んでいるだけでは、心まで病んでしまいかねない。無責任と思われるかもしれないが、時には成る様にしか成らないケセラセラ的な考え方を取り入れる事で、心を解放する事が様々な問題を解決して行くエネルギー源とならないだろうか。
日々多くの手術を手掛ける有名な医師が居る。神業と言われる手術の連続、どうしたらそんなに頑張れるのかとの問い掛けに、事あるごとに気持ちを切り替え「さぁ、頑張ろう!」と心でガッツポーズをする、ただそれだけの事。小さく声に出して言うだけで、ふっと背筋が伸び、頑張る気になれる。心を奮い立たすことができるのだと。
私達が日常的にいける花も何十年の経験を通じて思えるのは「自然体」が与える身体の変化。常に何らかの心の葛藤はつきまとい、花を触ることさえいら立つ事もある。しかし、花にはペット同様の癒しや説明を超えた神の手を感じるのだから不思議である。
華道専慶流 西阪慶眞
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