師走…今年も、様々な出来事に一喜一憂した一年を振り返る月を迎えた。時の流れは誰にも平等のはずなのだが、何故か年齢の増加と共に急加速で過ぎて行く。そんな思いになる私が居る様に、時間の長さの感じ方は人それぞれなのだろう。今、様々なニュースを思い返せば、政治も、経済も、悲しいかな人の心も…全てが下降線を辿っている様に思えてならない。昔は良かった…と、安易には言えないが、時代が変われば、全てが変わる…で本当に良いのだろうか。留まる事無く変化し続ける現代のベースにも、間違いなく古き良き時代があったはず。日本らしさ、日本独自の良さと言う物が自然に生活の中にあり、そしてそれが、自然の内に次の世代へと受け継がれてきたのだが。
畳の上で正座をし教えを受けていたいけばな稽古も、テーブルにイスと言ったスタイルに。座って襖を開け、挨拶をし…と言った日本ならではの立ち居振る舞い等、躾の場でもあったのだが。華道、茶道と言う文化を学ぶ事は単なる技術の習得に留まらず、師や年長者を敬い、自然を、命の大切さを学び、人と交わり人を思いやる…と言った様々な人としての成長の場であった。花を学びながら人としてのあるべき姿をも学んでいた。明日へと伝え続けて行きたい伝統ある「形」「より所」とは何だろう。師弟共にもう一度裸で見つめ直し、魂の鼓動を引き出したい。
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過日、ある放送局の記念番組に釘付けになった。神戸の震災で命救われた子供達とその家族のその後…「お母さん、私が生きていてはいけなかったの?私が死んだ方が良かった?」喪った子を思い悲しむ親の傍らで、まるで自分が生き残った事が罪でもあるかの様な思いにずっと感情を抑え我慢して来た子供達の思いが告げられた時、言葉に成らない悲しみ、苦しみを感じた。震災は失った者への悲しみと、今を生きようとする者が失われていった命の重みの前に自分の存在に疑問を投げかけてしまう程大きな爪痕を今なお残している。救うことの出来なかった我が子への思いが大きく、その悲しみの深さを計り知る事は容易には出来ないが、その悲しみから抜け出せずにいる親の姿に、自分の存在価値が見いだせず悲しんでいる子が沢山いる。この番組、震災によって身近な人の命が目の前で失われて行く苦しみ、失った人への思いを背負って生きている人、救われたが為に出会わなければならなかった心の叫び…様々な状況を当時報道していたアナウンサーの一人一人が、震災に遭遇した実在の人物に成りきって、当時の様子やその人達の今を立場を変えて伝えるものだった。報道による無意味な連鎖反応も現実として起こっていた事などなど。伝える側も受取手も「取捨選択」「裏を読む感性」は、これまで以上に鋭利さが問われる。時には伝えない、聞かない、見ない勇気、配慮も本来の国民性ではなかったのだろうか。
来るべき新年もよろしくお願いします。
華道専慶流 西阪慶眞
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