6月14日に発生したマグニチュード7.2の岩手・宮城内陸地震で被害にあわれた方々には、心からのお見舞いを申し上げます。
阪神淡路大震災・新潟中越地震・宮城県北部地震…多くの命を失い、大きな災害を招いた過去の地震から様々な事を学び、数多くの対策が取られて来た。しかし、過去の地震は活断層によって引き起こされた、ある意味起こりうる可能性があった地震だが、今回は警戒を要する断層では無かったと言うのである。110を越える活断層、2000を超える断層、未だ確認されていない未知なる断層が小さな日本列島を覆い尽くしている事実を知れば、私達はいつ何処に居ても、必然的に地震に遭遇する運命にあると言う事なのかもしれない。この地震で大規模に崩落した山、土砂ダムの様子を目にする度に、また海外に起こっている地震等の自然災害をも含め、自然のエネルギーの大きさを思い知らされ、私達の住む地球自体、見方を変えれば間違いなく命ある生き物なのだと再認識せざるをえない。人が宇宙を目指す時代に在っても、足元不確かな地球の上で生活して居る事に気づかず、我が物顔で生活している現状。どんなに文明が発達しても、自然の前にはまだまだ非力なのである。私達は地球の上で共存共生させてもらっている大前提を常に意識しなければならないのであろう。
大きな宇宙、その中の小さな星「地球」、そして日本と言う小さな島国の中に存在する私達一人ひとりの命。だが、決して軽んじられるものでは無い。
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誰もが授かった命の重さ、人の命の尊さを今一度考えるべきではないだろうか。まだ記憶に新しい秋葉原殺傷事件、折しも「世界難民の日」を前にして起こったこの事件。戦争や饑餓で苦しむ子供達をなんとか助けたいと何年にもわたって救援活動を続ける人達、思う様に食事を与える事も出来ず我が子を見送らなくてはならない親の思い、子を守る為に自らの命を差し出す親の姿…命を守る為に多くの人が様々な努力を続ける中で、突然起こったこの無差別殺傷事件をどう捉えれば良いのだろう。そう思ってる矢先から無意味な連鎖が…この事件発生後まだ間もないと言うのに、もう20件以上の無差別殺人予告に似たネット上への書き込みがあり、既に逮捕者も出ている。驚く事に書き込みの中には未成年者もいると言うのだが、この現実をただ呆然と見ていて良いのだろうか。この事件だけではなく、日々様々な場所で繰り返されている殺傷事件、その殆どが人への責任転嫁や自己中心的思考。「現代人の心の弱さ」と表現する人が居るが、突然失われてしまった命に対する悲しみは、多くの人の心に深い傷跡を残し、残された人々の未来をも変えてしまうのだと言う事も強く認識したい。
世相を変えた真の原因は何処にあるのか、小中学生の携帯使用の是非も含めて、様々な事件からの回避の為にどうするべきか、私達一人一人が真剣に考え、過去にそうであったように、共通ルール、最低限の国民的常識(合意)が自然発生的に芽生えなければ民族レベル、文化高揚は望めないと危惧するのだが。
華道専慶流 西阪慶眞
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