今日と言う一日は、昨日に続く時の流れに過ぎず、24時間と言う長さも、誰にも平等に与えられ積み重ねられて行く不変の時間。しかし、この時間をどのように過ごすかにより、人それぞれに時間の持つ意味は変わってくる。様々な思いの上に始まった新しい年、始まりのこの一日に、人は今年こそは…と何かを望み、願ったに違いない。過去の自分を省み、そして新たなる希望に向かって、心引き締め直し、昨日までの自分ではないと自身に言い聞かせ、変われる事を信じ望むのである。何がどれだけ変わるのか…未来を計り知る事は出来ない。ともすれば、過ぎた一年を振り返り、何等変える事の出来なかった自分自身を悔やむかもしれない。それでも人は、節目の時を得る事で小さなきっかけにまた新たな気持ちで前向きに時を繋いで行ける。私達人間は単純で切り替えの早いゲンキンな生き物なのかも知れない。それはある意味、生きて行く為の何よりも大切な生きる術の様に思える。様々な現実に失望し、悔いてばかりでは、意味がない。それは一個人の問題だけではなく、現代社会も同じであるはず。昨年一年を象徴する一文字に「変」が選ばれた。悲しいかな誰もが首を傾げる事なく納得の行くこの一文字。それ程世の中が乱れていると言う事であり、それが特別ではなく当たり前の様に捕らえられてしまっている事実に、私達は気付き、どう向き合わなければならないのかを自分の事として今真剣に考える事が何よりも大切な事だと思う。人種、性別、年齢等何も理由にはならない、今、与えられたこの地球環境の上で、この社会の中の一員として、人としてあらゆる物と共存している意味を、現実を見つめ直さなくてはならないのだと思う。
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何事も人任せ、人への責任転嫁をしていては、居心地良い時代を生きる事は望めない。食品偽装に平然と嘘を並べごまかす、公約を掲げ一票を得ながら、実現する事なく代わって行く一国の主、人の上に立つ職業とされてきた職務に就く人々の目を覆いたくなるような失態、決して失われる事などないと思われていた母性の欠如、大人の威厳失墜、自由を履き違えた若者の身勝手さ、青少年による残虐な犯罪…いつの間にか、日々届けられる新聞紙面は、どのページも暗いニュースで埋め尽くされ、心の栄養剤となり心高揚させる様なニュースを見つけるのは困難な時代に。だからこそ過去を精算し、新たな一歩を踏み出せる良い意味で自分自身に言い訳出来る、大切な一日なのかも知れない。困難に向き合えば向き合う程人はどこかに良い意味での逃げ場が必要不可欠である。そう、自身を振り返えり、道を正す為の心の逃げ場…それが心のゆとりなのかもしれない。今、百年に一度の大不況、全てが混沌とした混乱社会の生き証人として立ち会っている。そこから抜け出す為に必要なモノ、それは私達一人一人の今を生きて行く為の意識改革、互いが生きるためにどうあるべきか…優しさと、思いやりと、感謝の心を今一度自身の心に取り戻す事が第一歩なのだろう。
華道専慶流 西阪慶眞
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