●2009年11月1日発行/専慶流いけばな眞樹会主宰・西阪慶眞 | ||||||||||
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多数決の原理で押し進める現代社会。その事が、人間の個性・感性・価値観まで変えてしまっている事は否めない。「頑固親父」に象徴された、何が何でも正しいと主張し、信念を曲げずに通す…そんな憎まれ者の存在は、今ではほとんど見かけない。頑固に云い続けたくても、周りの環境がそれを許さないからだろうか。逆らって生きて行ける程、今の社会は寛容では無いことも確か…と認めるのも情けない話だが、正しければ全てそれで良かった時代は失われつつある。時間の短縮化、合理性を重んじる社会への発展に合わせて、長きにわたって培われて来た我が国独自の文化や芸術、国民性等が排除されて行く傾向にある様に思えてならない。賛同者が多ければそれだけで正しく、少数意見は反映されない…明らかに間違っている事を正す事よりも、多勢に無勢と諦め現実に流される方向へと導く事を良しとする考え方では、正しい物(この表現は的確ではないが)を正しく理解している者と、時には正反対の捉え方をしている者の間に大きな食い違いが生じる事は必至。オーバーな様だが一つの言葉の意味の捉え方の違いが、人と人を繋いだり、切り離したりする怖さを、誰が正して行けば良いのだろう。 |
決して特殊な言葉では無く私達が普段何気なく使っている言葉なのだが、思い込みと言うのは怖い物で、間違いとは知らずに多くの人が堂々と使っているのだ。例えば「気が置けない友」と言う言葉を、さあ、あなたはどのような意味として捉えているだろう。正しくは「気遣いする必要がない、遠慮が無い友」なのだが、これを誤って「気が許せない、油断できない友」と言う意味で用いている人が沢山いると言う。と、ここまではまだ良いのだが、ここからが私の納得の行かないところなのだ。間違っていても多くの人が使っているのならそれでも良い、無理に正す必要は無い…の判断を一般の人々だけならまだしも、言葉の専門家や有識者までもがその間違いを指摘しながら同じ判断を下している現実である。話の辻褄が合えばそれで良いでは、余りにも曖昧な判断に思えてならない。 華道専慶流 西阪慶眞 |
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