「生業」(なりわい)と言う言葉を耳にする事が近頃少なくなった。ある辞書によれば「生活のために苦労してする仕事」と、その意味が記されていた。たった二文字のこの言葉に、生きていくことは簡単なことではなく、生きる為の労は当然のことなのだと言う意味が込められている。
世界規模の不況の中、肩叩き・リストラ・派遣切り・内定取り消し…人が生きて行くための基盤が突然に奪われてしまう現実の厳しさの中で、今自分の立場をどのように守り、捨てなくてはならないものをどのような基準で選択するのか、岐路に立たされている人も少なくない。先日ある企業での新人募集の状況を見る機会があった。春の新卒を待たずしての募集に、応募数は予想を遥かに上回り、この時勢だから当然の事なのだが、一つの職種に対し年齢層が二十代から五十代後半と言う幅の広さ。当然「生活の為にどうしても働かなくてはならない」と言う理由は誰しも同じ。様々な選考の結果選ばれた数名。しかし、一週間の間に全員が辞めてしまった。職場は、年齢に関わらず皆が和気あいあいとまとまりのある向上心旺盛な職場。では、面接官の選考ミスなのか。そうでは無い。仕事の内容や人間関係等、何もまだ解らない状況の中で辞めていく理由は「挨拶が面倒・人と交わりたく無い・服装が嫌・注意されるのが嫌…」本当に働く意志があって応募したのかと疑いたくなる現実だった。
今時の若い者は…と良く言うが、今や若者に限らずその年齢層は上がっている。生活する為にお金は欲しいが、苦労はしたく無いと平然と言う。
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急場しのぎにはバイト、フリーターで繋いで行けるから、あえて窮屈な場所に定職しなくても良いと言う考え方が増えている様だが「老後の心配は?」と問えば「なんとか成るでしょう」と平然とする。オリンピックのメダリスト達は、幼い頃から高い目標を定め、多くの時間を費やし、涙し、努力を重ねて来た。また、あるお笑い芸人も、小学校の時の作文にその夢を綴り、以後、日々食べる事も出来なかった長い下積み時代を経て夢を手に入れた。そして今その頂点にいながら日々学ぶ事を怠らないでいる。それは、いつかこの夢の時が必ず去って行く。その時、自分の歩んで来た道に間違いは無かったと、自分に誇れる自分でありたいと思うからだと言う。しかしながら、一部の人とは云え、スポーツ選手や、企業で人の上に立つ人、科学者、技術者…夢を叶えた人達を見て「運が良かっただけ・長い時間を費やして馬鹿みたい…」と評し、軽く流す。夢を見られない現実を造り上げて来たのは彼等自身の問題だけでは無く、社会、ひいては政治の貧困さにも。しかし、誰もが自分の人生は自分の足で歩くしか無いのも事実。現実に不平不満を言うだけで無く、一朝一夕では叶わない夢に向かって日々努力をしている人達の姿に倣い、今自分に出来る事、自分が成すべき事は何かと問うてみては。たしかに、多様化、繁雑化した環境下だけに、自由に泳ぎ廻る日が訪れる事は易しくはなく、苦しむのは必然だろう。いずれ明かりが見えてくると強く信じたいもの。
華道専慶流 西阪慶眞
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