三寒四温…ようやく訪れた春は入学・入社・転勤…に伴い一変する新年度。不安や期待に胸膨らませ迎える新たな生活の始まりは、未知数の自分への挑戦であり、同時に関わりある周囲の人達の人生にも影響を。誰もが不安と背中合わせ、こんな時だからこそ、人と人の繋がりの大切さを思う。人は決して一人で生きているのでは無く、たとえどんな立場に居ようとも互いに生かし生かされている事に気ずくべきでは。
「三人寄れば文殊の知恵」。生じた問題は一人で思い惑うより誰かと共に糸口を探せば良い。それが自分の為だけではなくお互いの為にも成り、共存共栄の精神を育む。
人に頼る事(変なプライドを捨てて)は決してマイナスでは無い。信頼しているからこそ相手に頼れるのであり、信頼されているからこそ真剣に向き合うと言う相互の関係がそこには在るはず。不器用な現代人は、緊張を緩める場所をどんどん狭くし、結果、自らを生き苦しい環境へと仕向けている気がしてならない。
昔の子は群れをなし、夕暮れ時まで騒いで、喧嘩して、泣いたり笑ったり、オーバーかも知れないが感情のままに行動。そんな中で自分の存在を感じ、仲間意識を形成。仲間への思いやり、優しさ、強さ、時には規律さえ、遊びの中から自然に学んでいた。痛みを知った人は人の痛みを感じることが出来る。転んだ事の無い人は、転んだ痛さを知らず、それに耐えうる免疫力も無い、だから何かが起これば自身を押さえる事も、人の苦しみを自分の事として感じる事も出来ない。これこそが現代社会に起こっている様々な事件、問題の根本原因では無いだろうか。
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近代社会では人が「個」に成りすぎている。危険回避を前提に、子供の頃から日々守られた中での生活がどんどん「個」に拍車をかけ、協調性を欠き、自己中心的な人間形成が、ますます人との繋がりを希薄な物に…
年齢を積み重ねれば、重ねる程に出会った人の数は増して行く。そして出会った数だけ様々な経験、思い出が残されて行く。心に一度刻まれた経験、思い出は、ほんの些細な出来事や、偶然の再会で堰を切った様に溢れ出し、隔てられていた時間を一気に飛び越えて、当時のままの感覚で話が出来る。当然良い思い出ばかりでは無い。しかし、この年齢が思わせるのか、当時の思い出の善し悪しでは無く、共に同じ空間で同じ時を刻んでいた事実が、何もこだわる事無く自然に互いを繋ぐ、そんな感覚で向き合える。出会えた昔を無条件に喜び合える。幼なじみと言う言葉で繋がれた出会い、クラスメート、部活仲間、バイト仲間…思えば本当に多くの人と交わって来た。指導者と言う立場での出会いを思うとその数は計り知れない。そんな懐かしい人との心を暖かく、元気にしてくれる再会は、何よりも幸せな事であり、今日を頑張る糧ともなる。
今日、大学後輩が訪ねて来てくれた。嬉しい以上の感動がそこにはあった。いけばなの宇宙観に感動していた。
華道専慶流 西阪慶眞
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