2月12日から17日間繰り広げられた、バンクーバー2010年第21回オリンピック冬季競技大会。多くの感動と沢山の美しい涙に出会った。メダルの色は三色、たった3枚のメダルを目指して多くの選手が立ち向かう一瞬。夢叶える事の難しさ、その悔しさが更なる努力へと繋がり、心身を鍛えて行く。
「ごめんなさい」…と涙ながらにメダルに届かなかった事を詫びる選手の姿。この日を迎えるまでの長い道のり、時にはスランプに苦しみ、怪我に泣き、それでもひたすら血の滲む様な努力を積み重ねて来た選手達。確かに自分一人の力だけでは無く、指導者をはじめ家族や友人等多くの人の支えがあって辿り着いた大会。声援の大きさに自然体としてゴメンの言葉となるのだろう。確かに応援する者は、大きな期待を持って選手にその勝利を願う。それは、頑張って来た夢実現への戦いを応援する思いに他ならない。まるで我が子の様に、兄弟の様に、身近な友の様に、傍観者では無く我が事の様に無心になって声援と期待を抱いていたに違いない。しかし、時には加熱する報道が先走り、それに乗った多くの国民の期待が否が応でも選手には大きなプレッシャーとしてのしかかり、その緊張感の為にいつもの実力を発揮出来ずに終わってしまう…そんな選手に時には無責任な心ない言葉が向けられもした。誰よりも悔しいのは選手自身なのに、結果への反省、不甲斐無さや、情けなさの前に、「ごめんなさい」の言葉が出てくる所以である。反対にそのプレッシャーを良い緊張感に変え満足のゆく結果に終わった、と言う選手も当然居るのだが、オリンピックと言う大舞台では稀な事の様。国の代表と言う重圧は想像をはるかに超える。試合に挑もうとする者は常に不安と隣り合わせ、その緊張を抑えて、何処まで平常心で居られるか…全身全霊で積み重ねて来た技、その努力に裏打ちされた強さを持って臨む勝負の世界。勝者、敗者を問わず精神力の戦いでもある。 |
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そう言えば、公式ユニフォームを「腰パン」と言う乱れた着方で現れた選手の服装が物議を醸した。こだわりの服装だと言う選手に、ユニフォームの意味も解らず、常識の無い自己中心的考え方だと怒った議員の発言まで飛び出す、これまでにない事件が。開会式に出席させてもらえず…4年に一度のオリンピックへ向かって勝ち抜いて手に入れた競技にはこのファッションが付き物と言う選手、試合までの非難は試合後大きく変化。真剣に競技に挑む選手の態度に、彼は彼なりのこだわりを持っているなら,それはそれで良し…といとも簡単に認めた。それ程単純で良いのか。個性尊重、自分らしく…は当然の事であり、強制を受ける物では無い。しかし、その場にはその場にあった服装、行動と言う物がある事を知らずに来た選手に対して、何故周囲の大人が注意をしてあげなかったのか。結果が良ければそれもあり…では無く、転ばぬ先の杖を与えられるのは指導者であり大人達、失態の責任は当人だけの責任では無い。現代社会の中で起こる様々な出来事にも言える。
華道専慶流 西阪慶眞
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