2月22日、ニュージーランドでマグニチュード6.3の地震が発生。生々しく伝えられる現場の様子に、神戸の震災を思わずには居られなかった(阪神淡路大地震の規模はM7.3)。
復興、この言葉の裏にある拭い去れない多くの人々の悲しみや苦しみは、時がいつか解決してくれる…そんな軽い物では無いだろう。そんな思いで居る中、ネットに流れた一枚の画像に釘付けになった。現代アートの作品では無い?、まるで飴細工の様に綺麗なあり得ない曲線を描いた線路、これが自然の力の成せる技?…ただ一枚の写真に自然の猛威を見せつけられた思いがした。そのエネルギーに比べれば私達人間は何と非力なことか。突然に襲って来る天災の前に、備えあれば憂い無しノは簡単には通用しない。確かに近代技術の発達で様々な対処方法は考えられてきた。しかし、いつ、何が、どれ程の規模で…。おまけに私達はどちらが良いかは別に、日々古い物と新しい物が混在する中で生きている。無差別に襲いかかる天災に我が身をどう守るのか、私達に出来る事は何だろう。憂えてばかり居ても、現実は変わらない。上手く自然と付き合う方法を考える以外ない。一本の植樹が我が身を守ってくれるのに何年掛かるか…と無意味を唱えるのでは無く、その一本が未来に起こる災害を防ぐのだとしたら、過去に守られて生きて来た私達には、子孫を守る為の責任がある。どんなに科学技術が進歩しても自然に対し一方的に優位に立てる程甘くはない。宮崎に起こった火山爆発、鳥インフルエンザ、口蹄疫、次から次と襲いかかって来る禍に、人はどう向き合えば良いのか。怒りの矛先は相手が自然である以上、向けようにも向ける所が無い。ただ現実を受け止めるだけ…。
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人の発想は面白い。「ただでは起きない」では無いが、降り注ぎ一面を厚く覆った火山灰を見て何かに利用出来ないものか…。これをガラス工房に持ち込みガラスのコップ、器を。また、レンガ作りにも挑戦。釜から取り出される映像を見ながら、見ているこちらもどんな物が仕上って来るのかワクワクして見ていた。火山灰から出された色は、何とも言えない美しい色…すぐに実用化とは行かないまでも、こうした発想の転換が未来へと繋がって行く。諦めたり夢を捨てるのではなく、起こった現実から目を反らさず常に前を向いて歩くパワーを忘れてはいけないのだろう。(傍観者だから云える甘い思考回路なのだろうか)
今回のニュージーランド地震、高い志を持ち夢に向う前向きな若き日本人留学生が巻き込まれた。しかし、生死を分つほどの大災害にあったにもかかわらず、帰国せずにこの地で勉強を続けたいと言った学生の意志の強さに頭の下がる思いがした。と同時に、亡くなった人の無念は…合掌。
華道専慶流 西阪慶眞
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