●2011年6月1日発行/専慶流いけばな真樹会主宰・西阪慶眞
いけばな専慶流/デルフィニューム
●花材/ ダンチク、ヘメロカリス、紫陽花
●花器/ コンポート

●この時期重宝する素材に「ダンチク」「紫陽花」がある。両者とも、特別な栽培技術は不要。斑入りダンチクは西洋種で、茎には竹のように節があり、その節から細い横枝が出る。茎を割らなければ水揚げは良好、日持ちもいい。紫陽花は品種改良が進み、色の豊富さには目をみはるものがある。作例素材は総て裏庭で採取したもので、爽やかな季節感を豊かに表現しました。

ポイント 
 ダンチクの葉は下垂しているため、低い花器では重く感じます。背丈のあるコンポートを選び、葉先に空間をもたせます。左右対称構成とし、ヘメロカリスをアクセントに。


いけばな専慶流/山ツツジ
竹のような姿のダンチク

●花材/ エレムレス、紫陽花
●花器/ 楕円創作花器

ポイント 
 バスケットボールのような楕円球体に溝状の切れ込みが施された創作花器。溝に沿って紫陽花を配し、その間にエレムレスをプラスし、うごめきを。

水揚げ 水切り。

専慶流/カンパニュラ

  トケイソウ

暮らしとエネルギー

  「初心、忘るべからず」。室町時代の能役者世阿弥の言葉がある。日々を積み重ねて行く中で私達は、思い通りに行かない現実に出会うと責任転嫁、仕方がないを言い訳に不平不満を口にし、時に は安易な方へと流され、いつの間にか自分の描いていた未来像から掛け離れた形に。そんな自身の生き方を時には戒め、本来自分の求めていた方向に修正する為に、もう一度原点に戻り精査する事は大切な事。今更ノもう手遅れノと諦める事は簡単だが、その代償に多くの物が失われて行く事に気づくのは本当に取り返しのつかない現実を前にした時。時既に遅しとなる前に、何が本当に大切なのかを考えるそのきっかけは、数多く、私達の身の回りに溢れている事にまず気づかなくてはならない。そして、いかに恵まれているかを感謝の思いで受け止めながら、今大切に守るべき物、こゝろは何か?を改めて考える時ではないかと思う。
 ある意味満たされ過ぎた合理的な現代社会は、その代償に人の感性、感情といった心の核となる部分を無味乾燥へと導いているのかも知れない。未曾有の震災から早二ヶ月を超え、復興の言葉と同時に原発問題が表面化。そういう状況の中で私達は強いられて初めて経験する事、気づかされる事がある。遠く離れた地での一番茶が放射能に汚染されて廃棄処分となった。原発さえ無ければ一連の自然の営みが当たり前の様に私達を潤してくたはず。茶葉は一つの例に過ぎず、私達はこの原因と結果をしっかりと生産者の立場も消費者の立場も自分の問題として考えなければならない。

 四季のある暮らしは野菜、果物と言った旬、その季節だからこその味わいと同時に季節の移ろいを生活の中で自然に感じる場をもたらしてくれていた。しかし、近代設備は、季節到来を待たずして、我が儘に望む味覚を季節感無く味わえる環境を作り出した。また、花展会場に生け手によって並べられる彩り豊かな様々な作品、命ある花にも関わらず、此処にも季節を超えた花が生け花に携わる私達もある意味近代化の恩恵を受けていると言う事になる。季節感「四季ある日本」とこれから学ぶ子らは、それを私達が育って来た様に体感から学ぶ事がどんどん困難になって行く事になる。自然との共存は、人間らしさ?の維持に繋がっているのでは。グローバル化の垣根をしっかりわきまえなかったツケがここに突きつけられていると云えないだろうか。季節感の無い「四季ある日本」?、これだけは避けないといけない。
 電力無くしてはあり得ない暮らしの現実を目の当たりにして、今未来を憂えていても何も始まらない。現実は現実として受け止め、その中でも私達は未来を描く事を、夢を持つ事の自由を与えられている。夢を現実にと向う姿勢が、生き生きとした時間を作り出してくれる。こんな時代にでは無く、こんな時代だからこそ、前向きに大きな夢を見つめて行こうではないですか。
 こぼれ話。計画停電で真っ暗な中、小さなろうそくの灯りで昔を思い出し影絵を昔の遊び?に大学生から社会人の大人で構成の五人家族、時間を忘れて楽しんだと。状況に応じて、それを受け止めれば、そこからまた何かが生まれて来る。そうして時は繋がれてゆくのですね。

          

                華道専慶流 西阪慶眞


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花模様  専慶流