ある職場で昇任審査への書類添付写真に、セーター姿で…これっ
てどうなのか。Tシャツ、破れたジーンズの短パンに細いヒールの
ドレッシーなエナメルの靴…そのバックだけで存在感ある、伝統に
裏打ちされた高価な価値ある品物、なのにアンバランスなアクセサ
リーを付けて持ち歩く若者。違和感を告げると、返された言葉に驚
いた、それがメーカー発なのだと。遠い日には威厳さえ感じられた
品物が…物の良し悪し、価値観が時代と共に変化し続けている。迂
闊に自分流の判断を言葉にすると、思ってもいなかったしっぺ返し
が。こだわり、価値観、流行…ってなんだろうか。
「お食い初め」は、古都「京」ともなれば皆とは言わないまでも、
私たち世代の人間は知っているだろう…。と言うのも、勝手な判断
なのかも知れないが実態はどうなのだろう?。実は先日初孫の「お
食い初め」をしたと言う話が持ち上がり、「それって何?」耳にし
た事、何かで見た気はするけれど…から話は盛り上がり、お椀に石
を入れたけど、それが正しかったのか悪かったのか…その石の意味
は。それ以前に「お食い初め」の意味は何?呆れて聞いていたのだ
が、思えばこの年齢層にしてこの内容…この孫がやがて母になる頃
には、古来から受け継がれてきた様々なしきたり、文化と言った物
は(簡略化ならまだしも)、全てが文化史と言う歴史の書物の中に
閉じ込められ、いつか忘れさられてしまうのだろう…ふとそんな事
を思い、情けなさと、淋しさの反面、こんな事で良いのかとチョッ
ピリ腹立たしい思いにもなった。現代生活の中では無駄に思えるか
も知れない。しかし、そういった物の考え方が、常識といった当た
り前の事、人として最低限のルールと言った「モノの欠落への道」
へと歩ませているのではなかろうかと。
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確かに、価値観の違いはあるのだろうが、共に生きる隣人として
のマナーをわきまえたり、ほんの少し相手を尊重し耳を貸せば、様
々な情報交換と言う形で互いに何かを学び成長しあえるはず。それ
が文化の継承に繋がるのでは…と思うのだが。とくに暮らしの文化
は地域で生きていく最低限の知識でもある。その意味や習わしの背
景を知った上で、改善し、その時代に即した形に昇華させていく…。
そう考えるとこれまでのヒトは思量深く、美的センスも常に磨いて
生きたようである。
物の見方、感じ方は人それぞれ。持って生まれた価値観、育った
環境のなかで身についてきた感覚となれば、当然様々で、惨憺たる
は何が正しく何が間違ってるか…その判断が非常に難しい。なぜな
ら、以前は「常識」「TPO」といった誰もに共通する一つの価値
判断の基準、線引きがあったように思う。その場に合わせた出で立
ちに暗黙のうちの了解と言うか、分を弁えてと言うか、たとえ漠然
としていたとしても「当たり前」と言う感覚があった。今は何もか
もが自由化?し、その代償に文化や生活美が失われつつあることに
とても心が痛む。少なくともいけばなの道にいる者として何もでき
ないで、ただ指をくわえて見ぬ振りをしている事は苦しいかぎりで
ある。
華道専慶流 西阪慶眞
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