芸術の秋…花展シーズン到来。記録的猛暑や震災、世界的な気候
異変が、時には一瓶の花をいけるにも、いけ手を悩ませる。しかし、
開場と同時にそんな苦の部分は一変、並んだ作品の華やかさの裏に
隠されてしまう。手を掛けた自己表現の結果が来場者の心を癒し感
動を与えられれば、そのどんな苦労も報われる。そんな花展会場は
例年、様々なこぼれ話の宝庫となる。
例えばこんな気になる話が耳に…。いけばな人口の減少は、大切
な日本文化の衰微に繋がって行く。海外で賞賛されるいけばなの心。
何故、発祥の国でその伝承に黄色信号を点すのか。どうすれば継承
出来るのかと真剣に議論。偶然始まった巨頭会談のメンバーは、流
派の違った数人の先生。誰もが口を揃えて言うこと、それは自分達
が花を学んでいた頃とは、取り組む姿勢がまるで違う。モノ豊かな
現代社会、学びたいものは、意思さえあればどんな内容のものでも、
いつでも始められる…そして、止めることも。自分達の時代は、学
べるものも少なく、学ぶ事も容易ではなかった。学ぶ空間を得られ
ただけでも幸せ、だから真剣に向かい合い、その空間を大切にして
いた。当然時代が異なってもスランプはある。だからと言って止め
るのでは無く、どうすれば…と歯痒い思いをしながら、情けなさや
悔しさに涙しながら向き合ってきた。止めれば良いと言う意識には
繋がらなかった。何故なら、自分磨きの側面を大きく担っていたか
ら。
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時代背景の違う現代、さてどうすれば…。少しでも多くの作品を見てもらう事、興味を持ってもらう事、その為には流派を超えて協力し合う事が必要の意見で一致。昔の様に流派の壁で仕切っていてはいけない。人の好みはそれぞれ、見る人は流派を見るのではなくそこに生けられた花、生命、美を見る。心引かれれば、花は良いな、自分も生けてみたい、と思うかも…今は些細でもそんな花との出会いの場、感動の作品を提示し続ける事が、いけばな発展へと繋がって行くのかもしれない。嘆くのでなく、もっともっと前向きな姿勢とエネルギーの放出を目指さなくては…。今までの指導法やあり方では拒否反応を。私達自身の身構えも、昔のままではなく、本当に大切な芯の部分は譲らずとも、現代に即した柔軟な思考回路で向かうしかないのだろう。早速スケジュールを調整して…と、聴いていればやはり熟年者、決断は早い。やらずして嘆いていても前進は無い。とにかく始める事が大事と。小さな一歩が、日本古来の生け花文化を繋ぐ一つの道となる事を願いたい。
そういえば、各流派とも次世代の育成にと、子供いけばな教室や学校華道にも力を入れている。しかしながら、笛吹けど踊らずではないが、その効果は必ずしも期待通りにはなっていない。それもそのはず、一ヶ月一回、しかも一時間の授業では、講義どころか、実習時間もない状態で、効果をあげようと期待する方がおかしいだろう。
花を大切にするこゝろが大人のヒトから薄れている素因も深刻である。
華道専慶流 西阪慶眞
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