色鮮やかな紅葉…この秋の色づきはどうなのかと待ち遠しい。自然大好き人間の私は、紅葉に限らず季節の移ろいに伴って自然がもたらしてくれる四季折々の美しさに無条件に感動する。去年の紅葉、一昨年のナンキンハゼ…毎年目にする同じ樹の紅葉でも、気候によって大きく変化する。特にゲリラ豪雨や酷暑の洗礼を受けたこの秋は…。いずれにしても一年の命の営みの形、色、新たな姿でそこに立つ紅葉だからこその感動を与えてくれるに違いない。そして感動イコールその美しさに出会わせてくれた自然に、心から感謝する瞬間でもある。
しかし「あの紅葉、去年観たからもう良いよ」と云う人が多々存在する。それは大きな間違い、他の花でも同様だが、自然は生きている。そして気温や環境に敏感に反応し、表現する。去年と今年は明らかに違う表情を表すのである。勿論、接する側の心模様によっても違ったものになる。いつ観ても何処で観ても同じ…。この貧弱な心にだけはなってもらいたくない。ここは世界でも珍しい四季のある国なのだから、ほんのわずかな違いや色の深さには敏感であり続けなければならないと強く思う。
以前この場で、言葉の意味が昔と変わって捉えられ、使われている事、それが間違っていると学者は指摘するが、多くの人が同じ理解をしているなら、今の方を正解とし、辞書をも変えて行くのだと述べた事がある。何故正さない? 皆が良ければそれが正しい…本当にそれで良いのだろうか。言葉に関して、こんな事もある。携帯電話の普及、メールの行き来で連絡を取り合う中で、文字に現せない感情が絵文字等で安易に伝えられる様になった反面、文字数を少なく内容は簡明にの思いから、若者独特の短縮略語の出現、さらに驚きの事実が…「り」(了解)「つ」(疲れた)「ぱ」(中途半端)、一文字で表現しているのだと。あり得ない!と思うが、先の辞書の変更を思えばなんでもあり?なのかと思わざるを得ない。付け加えれば、携帯、パソコンのメール機能の発達が、人と言葉を交わす時間をどんどん短くし、上手く会話出来ない人が増えているとか。
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また、最近のニュースの中で秋に5連休を作りたいと。その為に子供達の夏休み、冬休み等をその分だけ短くし、親には有給休暇で休ませる。土曜に祝日が重なった場合、前日の金曜日を休日として3連休に…これを国会決議へと既に動き始めているとか。誰が望み、誰が提案したのか?ゆとり教育で土日を休みにした折りも賛否両論、その結果に教育の低下が問われ問題にもなった。祝日を土日に合わせて移動、本来、その日がどんな意味を持ち祝日とされていたのかもいずれは忘れ去られそうな現実。
私達ひとりひとりの価値観はそれぞれのものの考え方に、生き方に、時には社会に大きな影響を及ぼしている。それぞれの価値観を良し悪しで判断する事は出来ないが、何らかの現象、結果に向き合う時、そこに譲り合う事が可能で無ければ全てが偏った方向へと進んで行く。さて、あなたの価値観はどんな判断を下すのか。
こうして見ると是とするのか非とするのか、それは全て最終的には多数決による決定しか無い。原発ゼロへの闘いも、北方領土や尖閣諸島、竹島等の外国との領土問題も…どのような結論に向って行くのか。ただ、全てが人事では無く、私達一人一人が価値観が違うから仕方が無いと、諦めたり流されたり無視をするのでは無く、主張する事でより良い社会を望み目指す事が、先人に対して、次世代の子らに対しての私達の責任ではないかと思うのだが…。
華道専慶流 西阪慶眞
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