人と人との出会いが、偶然なのか必然なのか…と時折思う事がある。人との一瞬の出会いに救われた、ホッと心が解放された…と言う快い経験をした事が誰にも一度や二度はあるのでは無いだろうか。先日ある所で何気なく椅子にかけていた。隣りに同世代らしき人が…些細な事で声を掛けられ、それが切っ掛けで、暑さも忘れ様々な話に花が咲いた。知人間でさえ話題にならない、話題にしない身内話まで、相手の名前も素性も知らないにも関わらず時間の経つのも忘れて話し込んでしまった。全くの初対面とは思えない居心地の良い、穏やかな時間を過ごし、別れるときには本当に名残惜しささえ感じる程の出会いに。初対面でもとても身近に感じられる人、常に身近に居るのに遠く感じられる人…その差は数倍以上にも。もしも縁があれば、また再会するのだろうか…それよりも、多くの人がすれ違って行く中で共有した僅かな時間が、自分の価値観に同調し、認め合えた事が、互いに心の活力剤となった意味は大きかった。人は一人で生きているのでは無い、人を生かし生かされ互いに生きている…それは繋がりの長さ深さだけでは無い…きっと、様々な場面で思い起こす事だろう。そうだ、携帯電話の使用法で尋ねた店の男性とも意気投合。彼は仕事を放り投げて個人的会話に…。彼は数日後転勤する。一つの季節と別れ、また新しい季節が巡って来ます。出会いは人に喜びと広がりを与え、別れから人間の深みとやさしさを得る事が出来るかも知れませんね…とフェースブックの友が話していました。
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仕事柄、普通の人よりも様々な分野の人に初対面で出会う機会は多く、そして何十年と長い付き合いになって行くことも。更には再会と言う形も多く、それぞれが積み重ねて来た隔てられた時間の先から、また新たな付き合いが始まって行く。始まりも定年も勤続年数も何も制限無く、思いひとつで何処までも繋がり、広がって行く。幸せな事に、年齢も地位も名声も性別も…制限される物は何ひとつないため、多くの人が交わり合える空間に私は居る。しかし、価値観は人それぞれ、繋がり合う事の難しさにも多く直面する。人は一人では生きて行けない。共に支え合って生きるもの。解っていても支え合う為に、共に生きて行く為に必要な事は…相反する物はなかなか交わらない、ではなく、可能な限りそこに何かを見い出す努力が必要…と言葉では簡単に言えるが人の心は一筋縄では行かないもの。偶然にしても必然にしても、本当の思いと違っていても現実として起った事は間違いなく誰の目にも確かな事実となり、何も無かった事として取り消す事は不可能になる。まさしく政治、経済、環境、外交…現代社会そのもの。だからと言って、何もかもを諦めてしまえば未来は無くなる。先の見知らぬ人では無いが、この世界同じ思いを共有出来る人は必ず居る。負があるから正が見え、苦しみむ人には幸せが描ける…どんな時も人への思いやりや優しさ、労りを忘れない限り、人は知らぬ間に何処かで誰かが寄り添ってくれていると信じたい。この考えが甘いのだろうか。
人の出会いは必ずしもいい方向に働くとは限らない。インターネット情報も同じ。
華道専慶流 西阪慶眞
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