爆弾低気圧、この冬また耳慣れない気象用語が出現。影響を受け豪雪に見舞われた首都圏は大混乱。過去に何度も経験済みだが、その対処法は、雪掻き、タイヤの交換…いたってシンプル。気候、自然に対し私達人間は常に受け身であり、いかに無力であるかを、思い知らされている昨今。自然界において、自分達に都合の良い様に手を加えたり、思う様に操作する事を許さない領域を肌身で感じる。やはり、私達の暮らしは本来「共存」で成り立っていると、再認識するべきではないだろうか。共に在る為に相手の存在を認め、その命を敬い、共に益を得る為に、互いへの思いやり、優しさ、何よりも感謝する心を忘れてはいけないと云うメッセージを示唆しているように思えてならない。年齢や性別、身分の上下、優劣でもない、対等に生きるものとして、互いの存在を、まずは認め合う事が暗黙の了解でなくてはならない。
自分勝手な思いだが、「若気のいたり」に象徴される様に、若い頃は自分の思いを固辞、主張したものです、そう、それが当然の事の様に。しかし、人によって差はあるだろうが、人は年を積み重て行く中で人との価値観の違いに気づき、一方的に何が何でも反対ではなく、相手の思いを受け止め咀嚼し、自分との違いを改めて考え、その先に自分の意志を自分で認識する…そんな風に変わって行く様に思える。
政権交代、体罰、アルジェリア人質事件等々…私達は日々報道媒体によって無差別に様々な情報を得ている。そして多くの人のコメントを耳にしながら、同調したり、反発したり…自分の持っている価値観で物事を判断する。
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意見の食い違いは、その人が生きて来た時間の中で形成して来たものであり、その考え方の正誤判断は、ある意味誰にも下せないのかも知れない。どの意見が正しいのか否か…それが体験、経験によって得た価値観であれば尚更。
原発問題にしても介護保険にしても…あらゆる問題に賛否両論がある。
価値観。私にはもう一つ気掛りとする点がある。「価格評価」である。今年に入ってからも大手スーパーが多数の商品の値下発表。また大型電気店ではこぞって液晶テレビの破格値広告ノ。さて、この超破格値は国民にとって本当に歓迎すべき事なのだろうか。私は趣味で植物栽培の経験も長く、米や野菜を栽培するのにどれほどの汗と設備経費が必用かを肌で感じている一人。その経験をベースにスーパーでの価格を見ると恐ささえ覚える。何故あんなに安いのか。彼らにも家族がいて、生活があるにもかかわらず、とことんまでの切り詰めを強いる。消費者から見れば安いにこした事はない。しかし限度を越えた安値志向は必ず将来にツケを回す。やはり正当な価値評価?を素直に値踏みしてこそ、生産者の士気にもつながる。裏を返せば、正当な価値判断の出来る目、常識をみんなで構築できれば、品質の維持、明日への向上にも大いに期待が持てる。良品質は必ず評価される構図に期待したい。
華道専慶流 西阪慶眞
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