誰にも分け隔て無く与えられた一日24時間と言う時の長さの捉え方、その過ごし方は、個人の性格や価値観、置かれた環境によってそれぞれに異なる。どんな過ごし方が良く、また悪いかの判断は自分自身以外誰にもできない。ただ間違いなく言えること、それは、過ぎて行った時間を取り戻すことも、白紙に戻してやり直すこともできない。過ぎた時間は決して変えることの出来ない事実として刻まれて行く。だからこそ振り返った時、良かったと思える納得の行く時を過ごしたいもの。
「時は金なり」…と言いますが、あなたにとって時間とはなんでしょう。
その行動予定を聞いているだけで、こちらまで息苦しくなるほど慌ただしい時間を過ごしている人、1日24時間では足りない、もっと時間が欲しいと願う人が、あなたの周りにもいませんか。その人達の言葉をほんの少し思い出してみて下さい。以外にそのハードさを苦痛に感じ、そこから抜け出したいと言うのではなく、まだまだやりたいことがあり、その為の時間が欲しい…そう、決して下向き思考ではなく、そこに拘束される時間の更なる増幅が確かな現実をも苦にすること無く、無意識の内に貪欲に自分自身の向上を目指している…と感じたことはありませんか。
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そうした新たな挑戦の為に決して何かを切り捨て犠牲にするのでもなく、また、人から見れば全く時間に余裕の無い現状であるにも関わらず、更なる時間確保の為に、効率良い時間の使い方を考え、何よりその時間を誰よりも楽しもうとする。第三者から見れば何故自らを追いつめる状況にあえて向かおうとするのか理解に苦しむところだが、当の本人にとっては、既に人の目に慌ただしく映っていること事態感じていない。
人には大変に見える日常のすべてが、極当たり前の日常なのである。その当たり前の日常に、更に望んでいたことが可能となれば、その喜びが新たなエネルギーとなることは言うまでもないこと。そうして更に充実した日々を過ごすことが、与えられた人生を更に豊かなものへと導くレールとなるに違いない。反面、日々時間にゆとりのある人は、何かに取り組もうと思えばいつでも可能と言うある意味油断やゆとりが、一歩を踏み出す機会を先延ばしにさせてしまうことも否めない。さらには、年齢や体力等々様々な理由を言い訳にし、立ち止まっている間にも大切な時間は過ぎて行く。
過ぎて行く時を憂えて過ごすのではなく、自分らしい時間の使い方を見直してみてはどうだろう。
華道専慶流 西阪慶眞
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