あなたは自分の夢や願いや望みを心で思い描くだけではなく、言
葉にして発信していますか? 「言霊」「言霊信仰」と言う言葉があ
ることはご存知でしょう。言葉そのものに霊的な力が宿る、声にして
発した言葉が、実現へ導いてくれると。さて、この内容、一般にはど
のくらい認識されているのか。言葉は知っていても大半は現実離れし
た、どこか神秘的な夢物語…くらいにしか捉えていないのでは。言葉
にすればそれが叶う?現実的な思考回路ではもしかするとあり得ない!
と一笑…、はあり得る事。ただ、普段用いる言葉でもなく、頻繁に耳
にする言葉でも無いのだが、意外にもこの言葉の存在感は、私の中で
はかなり大きい。信仰と名がついているから、宗教的な信仰心を持っ
て捉えているのかと云えば決してそうではない。言葉の持つ霊的な力
を信じての発信と云う訳でも無く、言葉にして発すると云う事自体が、
明らかな自身の意思表示、宣言…と言う事になると思えるから。更に
は発言することでそこには責任感や、プライド、目指す思いを自分自
身で再確認、再挑戦する手助けになり、前進する為のエネルギーとな
るのではと考える。そしてそれが「有言実行」へと繋がって行く事を
体感している。
何故この時期に「言霊」を取り上げたのか。それは新年を迎え、節
目の節分を迎え、新成人、新入社員等々、この春、多くの人がまた新
たな生活空間へ夢や希望を持って動き出す時、人生の大きな分岐点を
迎えるその時に、初心に戻り新たな目標へ向かって、積み重ねて来た
時間の中から見出された自分の思いをしっかり言葉にする事、伝える
事によって、自覚と責任が強まり、さらにはそこに覚悟、決意の強さ
というものが派生する。
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人それぞれだが、夢や希望、願いと言った物は、今この瞬間に生ま
れる物ではなく、刻んで来た時の中で思いが生じ膨らんできたものだ
ろう。子供達、学生…いわゆる若者と呼ばれる人達は恥じらいながら
も、問われればそれを語る。しかし年齢が積み重なって行くにつれ、
現実直視で、ままならない現実に言葉が失われて行く。「いい大人が
…」と言われる事への自己防御?引っ込み思案にならないで、一度の
人生、思いを言葉にして堂々と伝える、そこに自覚と責任が生まれる。
ある意味、思いの再確認、自分自身に言い聞かせる事で、自分への責
任と言うか決意表明にも似て、自分にたいする激励と、責任が拡大す
る。行った事に責任を持つ、自分の思いに責任を持つ、周囲の目や、
結果を考えるのではなく、自分の思いに正直に可能な限り挑戦し続け
る原動力としたい。
そうそう、昨年末、縁あって著名作家の彫による「福の神」が教室
に。額を手作りして新年に飾った。手を合わす事はないが、お面を見
ていると様々な表情、優しさで語りかけてくるようで心の何処かに刺
激を承けるのは不思議なほど。出合いに感謝のスタートです。
華道専慶流 西阪慶眞
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