●枝に応じていけた生花。 ポイント 庭に咲いた八重咲きつつじを、枝振りに応じ、自然体の姿で「生花」の様式に生けています。
自然の姿を最優先する理由の一つに、撓めが効かない(折れる)があげられます。従って、基本花型に縛られず、抽象的に様式美を受け継ぐ感覚でいけることになり、上級者向き素材と云えます。
ポイント 大きな面を大胆に取り入れ、そこへ鋭利な角度に折ったフトイの線を絡めます。
面に使ったギボウシをいかに立体的に見せるかがポイントです。そのためにはわずかな傾斜や前後の配置、長短を慎重に定めます。
●水揚げ 水切りで対応して下さい。
ツツジ
世界は一つ…
「 赤ちゃんポスト」、日々の生活の中で忘れていたこの名が取 り上げられた当時、命の尊厳を前に結論の出せないその存在の良 否を自問自答した記憶が蘇る。そして、情報の発達した現代だか らこその、新たな命の行き来の形を紙面に見た。インターネット を利用した里親探し?現代が情報社会故の発想。記載されるデー タを見て双方の判断の下に新しい親子関係が築かれる?。親子の 関係が稀薄に、母性愛の欠如、命の軽視、等々の問題が浮き彫り になる事の多い現代社会で、何故?安易に?と反射的に憤りを感 じ、遠い日も答えの出せなかった自問自答に再び向き合った。 こうあるべき!と言う思いに決断を下す怖さなのかもしれな い。それが一つの命の将来に繋がる事であれば尚更ノしかし、物 事には原点が有る。文明の発達を見ない過去にさかのぼれば、豊 かではない暮らしの中でも、そこにはそこで理に適った命を尊ぶ 生活を当然のように営んで来た。物質的にも、経済的にも困難な 時代にあっても形はどうであれ、人の命の重みを決して軽んじる ことなく今以上に真剣に大切に考えられていたように思えてなら ない。これまでにも幾度か述べて来たが、母性愛、人間愛ノ人と してどう有るべきかの根本にあるものは、今も昔も世の中がどん なに変わっても、人の命の重み、存在の意味は不変であるべきな のでは。 ネット社会の中に共存する私達、パソコンもスマホも使わない から関係ない、そもそもネット社会ってなに?と思う人もいるか もしれない。しかし現代社会で生きる私達は、インターネットと 云う環境の下で情報提供、情報共有をする事によって、自発的に 仕事、趣味、学習、健康管理ノありとあらゆる事を居ながらにし て可能にしている。私自身仕事を含めこの環境は無くてはならな い存在になっている。全てとは云わないが、知りたい事は人を頼
る事無く、辞書を引く手間も無く、過去の新聞の紙面から探し出 す事も無く「検索」と云う機能で瞬時に、解答を得る事が出来る。 また、足を運ぶ事無く食品から日用品等々に至るまで、大げさに 云えば何でも買い物が出来てしまう、極端な言い方をすれば欲し い物が画面の操作一つで手に入ってしまうのだ。便利で重宝する システムだが、その反面、認識しているか否かに関わらず何がし かの個人情報は放出されていると理解しておかなくてはならな い。それゆえ、時には知らぬ間に犯罪等に巻き込まれてしまう事 も否定出来ず、更には被害者だけでは無く加害者にもなり得ると 云う現実。先にあげた情報を下に命のマッチング、全ての子が幸 せに成る保証が有るなら良いが、実の親子でも命に関わる多くの 問題が生じている現実を思うとノやはり安易に賛成する気にはな れず、かといって解決策も見出せない。それ以前に、そんな状況 下におかれる命の多さをどのように理解すれば良いのだろうか。 善し悪し、物事には相反する両面がある。何がどこまで良くてど こから駄目なのか、その判断は責任転嫁するのではなく、親や年 長者となって行く私達一人一人に課せられた生きるものの義務。 ものの考え方、価値観、立場、知識の量、環境等々によって判断 に多少の差異はあっても「命の尊厳」に大きな隔たりなど、絶対 にあってはならない。そのための教育は決して惜しんではいけない。 来日された元ウルグアイの大統領ホセ・ムヒカ氏。「世界でい ちばん貧しい大統領」と呼ばれた彼が発した言葉の一つ一つが、 心に響きます。そんな言葉の一つに「より便利で、より豊かで、 私達は幸せになったのでしょうかノ」さて皆さんはどう答えます か?
華道専慶流 西阪慶眞
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