やっぱりショックでした。還暦も過ぎ、孫も居る年齢。優
しくは見えない、イケメンでもない。「確かに自分でも怖い
顔かもと思うから仕方が無いですよね。声を掛けなきゃ良い
んですよね。でも、子供が大好きだからつい…」と半分冗談
の様に笑いながら話していた男性、本音はきっと違っていた
はず。何故?と、顔に出さない情けなさや怒りもあったはず
だと、私には思えてならない。この男性、公園で遊んでいた
幼い子の仕草がが可愛くて、「こんにちは」といつもの様に
何気なく声を掛けたら泣き出されて…まではまだ良かったの
だが、そこに居た女性達のまるで犯罪者を見る様な目が一斉
に自分に向けられたのだとか。今の世の中じゃ仕方が無いの
でしょうねと苦笑いも。そう、何も特別ではなく現代社会で
は普通にあり得る事…と受けとめる事に、違和感が残るが…。
この一連の流れ、男性自身、その子の親、そこに居合わせ
た第三者、もしもあなたがそれぞれの立場であったならどん
な思いになったでしょう?もう一つ、今これを読んでいるあ
なたはどう思ったでしょう。確かに多くの悲惨な事件が日々
の報道で耳や目に届きます。全ての事が他人事ではない世の
中、何事も我が身に降り掛からない様にと願うのは誰しも同
じ、当然のことです。では危険回避、自己防御の為に何が出
来るのでしょう。
私達は人と交わり、繋がりある中で自分の世界を生き、生
かされています。「縁あって…」の出会いは偶然なのか必然
なのかは、物の考え方や価値観等々で人それぞれです。ただ、
確かな事は、どんな形であれ出会わなければ縁は結ばれない
と言う事です。
近年人と人との交わりはますます希薄に。周囲への無関心、
|
|
自己中の言葉が溢れていた頃はまだ繋がる事の大切さを説
き、繋がり合う為に地域や学校での挨拶運動まで話題になっ
た事があります。挨拶を交わす事を切っ掛けに、声を掛け合
う隣人の繋がりに、それが互いの危険回避にも繋がると。一
人では出来ない事も、人が集まれば…の意識が、共に助け合
う切っ掛けと成るからと。しかし、当時と比べ現状は改善さ
れる事なく、私の勝手な思いであれば良いのだが、更に疎遠
に稀薄に成っている様に思えるのです。昔は良かった!隣り
近所が家族の様に目配り、気配りで助け合っていたから等々
…殺伐とした現代を憂えながらも、そんな時代を経験した事
の無い若者への世代交代なのだろうか、昔の人の繋がりの良
さを語る言葉が、耳に届く事もなく成っているのでしょう。
不安要素溢れる現代社会の中で生きる私達は、無意識のう
ちに危険回避、過剰自己防御の意識から、常に神経を張りつ
めたまま日々を過ごしているのではないでしょうか。何を信
じれば良いのか…そんな疑心暗鬼に陥った私達は、もしかし
たら自ら多くの大切な出会いの機会をアレルギー反応で放棄
しているのかも知れません。
新年を迎え、ここから新たな日々が始まります。今年は自
分自身に科している緊張感をほんの少し緩め、ゆとりを持っ
て、思いやり、優しさ、労りある穏やかな目で心で周囲を見
渡し、自分の意志を持って見極めることに戻ってみてはどう
でしょう。縁は異なもの…男女の出会いに限らず、ほんのさ
さやかな出会いが人生を大きく左右すると云う当たり前の縁。
出会ったご縁に感謝、これから出会う縁を大切に、実り多い
一年を祈り願いたいものです。今年も専慶流の新年会ではご
縁の輪ゲームで盛り上がった事です。
華道専慶流 西阪慶眞
|