気温の変化によって色鮮やかな紅葉に彩られる古都、京ならではの秋の景色が訪れる人々の心を魅了するように、少し早いが冬の寒さ、日本海の荒波や潮風に耐えて咲く越前海岸の水仙の群生は、一輪の花の可憐さや美しさとはまた違った、一面に広がる圧倒的景色で魅了する。それは自然の中にある厳しい命の営みを無意識のうちに感じ取っているからだろう。命ある生物は、どんなに過酷な状況下にあっても、やがてそれに順応し、次世代に命を繋ぎ、季節が巡ればその時々の環境の変化を受け止めながら芽を出し花が咲き…。
しかし、私たちが目にする植物の中には「ど根性◯◯」と命名されたコンクリートブロック塀の隙間から、アスファルトに舗装された道の裂け目や、床下から等々予想もしていなかった場所からさえ健気に?芽を出し、花をつけ…と言う珍事?に思わず「えっ!凄い!」と驚嘆する。人が意図的に育てたものではなく、どこからともなく風に運ばれ飛んで来た種が、思わぬ場所で、様々な過酷な状況を乗り越え開花。その強い生命力、命の営みに、私達は心癒されたり、勇気づけられたり…。
どんな植物の生育にも、常に回りの環境、気候が大きく影響することは言うまでもない。猛暑、酷暑、豪雨、竜巻等々取り巻く環境は我が国の近年の気候を見ても、変動著しい。そんな条件下であっても、一年後二年後…時には忘れた頃に改めて芽生えの瞬間に出会うと言うことは珍しくない。どの様にして順応への長い時を生き抜くか。見方を変えれば、自然のルールあってこそ、それに応じられてこその存在と言える。決して自然現象を無視しない、無視出来ない現状の中での美しすぎる懸命の営みなのだろう。 |
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この植物の生育と、私達の人間関係には、どこか共通するものがある様に思う。自然の中でその過酷な変動に順応しながら育ってきた植物は「味、個性や深みある姿」、そしてびくともしないしっかり根を張り立っているように、見た目の美しさより芯の強さ、多くの経験を通して、時に苦労し、揉まれながら成長してきた人は、謙虚で、聞く耳を持ち、相手の身になって、親身に考えることが出来る。間違いは素直に認め、それを糧に意識すること無く更なる成長に繋げている様に思える。言葉変えれば打たれ強くもあり、時にしなやかさも…。反面、勿論全ての人ではないが、過保護、温室育ちという括りで呼ばれるプライド高く自分を誇示し、人に守られて当然、皆が自分に賛同するが当然、反対するものは排除?の様な感覚の持ち主の存在も、現実の話だ。
獅子が我が子を、子の成長のために谷に落とすように、人も人の中で心地よい、共に前を向いて歩けるよう最低限の思いやりと、聞く耳を持つことの大切さ、理解しようとする努力等々への意識を持つことが、様々な負荷に向かい合うとき、互いのための大きな力と成りうるのでは…
華道専慶流 西阪慶眞
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