先日、街おこしに「縁側カフェ」を実施している地域が話
題になっていた。小さな過疎村の農家全員参加で各自の縁側
を解放し、茶菓子を出し接待していると言うもの。今では年
間6000人もの人が集まって来るのだとか。見知らぬ人との取
り留めの無い会話が、心を解きほぐし心地好さに…。それが
多くのリピーターに繋がっているのではと。
また、全く違う地域の公民館では「えんがわ」と言う名で
サロンが開かれていると聞いた。前述のカフェと少し違って
いるのは、介護する人、される人、障害者も健常者も年齢制
限も無く、接待する者とされる者と云う立ち位置が無いと云
う事。毎回当日来た人達自らが、お茶の準備、茶菓子の買出
し、テーブル設営から片付け迄の全てを負担の掛らない役割
分担とし、気楽にお茶を飲みながらおしゃべりを。開設当初
から間もなく4年、ひとりふたりと参加者は既に5〜6倍に
増え、今なお増え続けていると云う現実は、ある意味現代の
社会現象といえないだろうか。日々の生活空間の中で、行き
たい時に行ける場所、誰に気を使う事も無く居られる場所、
何をしていても良い場所、家や職場と言った様々な柵のある
場所ではなく、安心して分け隔てなく誰もが行ける場所、時
には息詰まる日々からの細やかな逃避空間…、そしてなくて
はならない最も大切な事が、そこに自分以外の人の存在が必
ずあると云う事。様々な人の集まりでありながら、参加人数
に関係なく、時にはその場に居ながら言葉を発する事が無い
日があっても良い、その場に出掛けて行く事、何らかの形で
人と接する事に意味があるという。元来人は一人では生きて
は行けない。どんなに頑固にひとりで大丈夫!と言い張った
所で、人と関わらずして生きては行けないのです。
ただ、なれない空間 |
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なれない人達、引っ込み思案だったり、時には築き上げて来
たプライドが人に弱さを見せたくないと言う自己防御の思い
から、人と繋がる事への拒否反応だったり…なかなか素直?
になれない人も居るだろう。しかし、ここに来ればひとりぼっ
ちではなく、確かに人の存在があり、居る事が無条件に許さ
れる空間とでも言えば良いのだろうか。特別ではなくどこに
でもありそうな、誰もが持っていそうな空間なのだが、意外
に自分の事となると難しいのではと主宰者は言う。
気楽なおしゃべりの空間が、人が人らしく過ごすための栄
養剤となれば良い。高齢者社会が抱えた年々増加する独居老
人問題、現代社会の様々な要因で否応無く障害を持つ事になっ
てしまった人、介護と云う形でそれに向き合う人、肉体的要
因だけではなくストレス社会に心痛める人、健康であっても、
定年を迎え生活が大きく変化、企業戦士から仕事と云う基盤
を無くした後の時間の過ごし方が解らず戸惑う人「嘘の様だ
が仕事抜きでの人との繋がりが稀薄だったため「普通の接し
方が解らない」。子供じゃあるまいしそんな事で困惑するなん
て…は、現実に大きな問題なっているのです。定年を迎えても、
独り身になっても、障害を持っても前向きに趣味等自ら進ん
で人の中には入って行ける人は良いが、人付き合いに不器用
な人は、ともすると、大人の引きこもりと言う現実が確かに
あるのです。
人は本来誰かと繋がっていたいのだが、様々な問題、要因
から孤立化へ向かう流れが大きく、ここにあげた二つの空間の
様な場所作りは、近隣の健全なあり方を目指すためには必要不
可欠なことだろう。と同時に、大人も子供と同じ、年齢に関係
なくどんな時も一歩前に進む勇気が大切なのかも知れません。
華道専慶流 西阪慶眞
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