人の思いやり、優しさは万国共通…思えばそんな当たり前の事も忘れがちに…。こんな話を耳にし、その一連の光景を思い浮かべ、少し年配の日本人と、どちらが若いとも言えない初老の金髪女性の細やかな心暖まる交流?とでも言えば良いだろうか、きょとんとした顔で向き合っているほのぼのとした姿が想像でき、一瞬頬緩む思いになった。京都駅から乗車した知人だが、押し合い圧し合いと云うほどの乗客数でもなく、その時は座れないことを苦に思うことも無く自然につり革に手を出しかけたその瞬間、スッと目の前に座っていた人が席を立ったのだと云う。どうかしたのかと一瞬戸惑っていると、
「どうぞ」と云う仕草。席を譲ってくれたのだ。残念だが言葉は通じず会話は出来ない。しかし、二人の間にはその一瞬にも微笑みや、感謝を込めた会釈があり、それはきっと、両者の心に心地好い記憶として残ったに違いない。
私達には「おもてなし」と云う行為ではないが、困っていたら助けてあげたい、そんな思いが常にある。ただ、言葉も通じないのに…と思うだろうが、「困ったときには藁をもつかむ」と言った感覚があり、立場が代われば無謀にも何とかしてあげられればと、手を貸してあげようと動くのでは…。 時にそれは考えての行動ではなく多分無意識の反射的行動、そしてこれこそが人としての思いやり、優しさなのでは。 |
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海外から多くの観光客が訪れている京都。その多さに静かな佇まいの古都…のはずが溢れる人の多さに魅力半減と云う観光客と、マナー違反に頭を抱える迎える側。文化の違い、価値観の違い等々両者の思いを一挙に解決することは困難。だからと互いに不平不満をぶつけ合っても良い方へ向かうことはない。どちらの国が、どちらの立場がではなく、この一連の縁のように、互いへの、優しさや労りや思いやりと言った本来人として誰もがもっているものを忘れず、人との交わりを大切にし、未来を担う子供達に自らの行動で伝えて行くべきものでは…。
発達した情報社会に生活する私達は、幸か不幸かこちらの意思に関係なく溢れ来る様々なニュースに出会い、時には感動に心高揚し、時には知らぬ間に事件に巻き込まれることも他人事ではなく現実に起こっている。日々届く目を耳を覆いたくなる凶悪な、悲惨なニュースや、人道を無視した国家間の駆け引き、権力闘争…様々な心痛むニュースは、人の心の荒びというか、国の違い、文化の違いではなく、全ての人に本来あったはずの人間らしさが、慌ただしさのなかで二の次に…。マイナス要素のニュースが大半を占め心萎えそうな現実だが、一人の優しさが連鎖反応を起こし、少しずつ広がって行くと信じ、自分らしさと向き合って行きたいもの。
華道専慶流 西阪慶眞
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