平成31年3月…いつものように一年の締め括りとして迎える年度末だが、新な元号で歴史が刻まれる5月を前に、平成と言う元号のみが存在する最後のひと月となる。現代はデジタル社会、可能な限りスムーズに時代を移行するためには、雑多な新年度の始まりに重なるにも関わらず前倒しで4月に新元号の発表も仕方のないこと。ただ、様々な時をもって、節目、けじめを意識する者にとっては、どこかけじめのつかない曖昧感はぬぐえないように思う。
メディアでは、遡ることおよそ一年「平成最後の…」と、ひと時代の終わりを印象付け、年明けからは、新な時代への夢、希望、指針への準備?、多方面から昭和、平成と云う時代を振り返る。良い事は更に向上へ、悪しき事は改善、排除へと促すような…。
ふと、昭和、平成、そして新な元号の下に生きる自分を思った。戦争と復興、原爆と原発、アポロの月面着陸とはやぶさの帰還からリュウグウ着陸へ…、2度のオリンピック、万博、バブル、様々な未曾有の自然災害、環境汚染等々人的災害、目や耳にしてきた犯罪の数々…忘れていた記憶と現実を辿りながら、積み重ねてきた時の長さに改めて気付く。
スポーツ界では若い選手が世界のトップを競う姿、世界中のあらゆる分野で多くの日本人が活躍している姿、ノーベル賞受賞や受賞の可能性が毎年取り上げられる等々…子供の頃には奇跡的な感覚であったものが、今は普通に目や耳に届く。そしてどの結果にも、そこには気の遠くなるような時間と忍耐と努力の積み重ねがあり、それが無条件に私達に感動と感嘆、そしてエネルギーと誇りをもたらしてくれる。反面、戦争やテロや自然災害の下で、取り返すとの出来ない大きな痛手を受けてきたこと、荒んだ心のも現れ?、昔には考えられなかった、あり得なかった犯罪が横行している現実に、他人事とは思えない痛みや、悲しみ、苦しみを感じる日々でもある。 |
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過ぎた時代に比べて平成の世は平和だった、と語られるのを耳にする。理由は、戦争が無かったから…と。確かに…と受け止めながらも、様々な現実を前に、歴史の良し悪しを比べる基準は何処にあるのか。過ちを繰り返さないために、過去の経験に学びながら、訪れる時の中では、精一杯の考えと判断が求められる。そう、今どうあるべきか、何が出来るのか、何をすべきなのか…。 価値観は人それぞれだが、人は一人ではない、共に同じ時を生きている者同士。自分さえ良ければ…ではなく、互いが互いを思いやり、労る気持ち、協調性が有れば人と人が寄り添え、もっと穏やかな日々を送れるのでは。
遠い日に、未来社会はどんな世界だろうと空想、夢物語として想像していた社会、平成の世は、その想像を遥かに越える超近代社会となった。止まるところのない最先端の技術開発が作り上げて行く社会、訪れる新しい時代がどんな時代になるのか、ITが創り出す世界など想像すると気分が乱れる。ただ、夢のない社会は空しいが、夢を追う余り、身近で一番大切にすべきものを見失っては、本末転倒。内面的にも豊かな心暖まる社会であってほしいと願う。
華道専慶流 西阪慶眞
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