情報社会の真っ只中で生きる私達の誰もが、自分の意志によって、あらゆる方法で、得たい情報を得ることが出来る。昭和の時代からは想像もできなかった、平成の世のパソコン、携帯、スマホ等による急速な浸透、情報社会の広域化、留まるところを知らないIP 関連の進歩に伴って、極端な言い方をすれば、誰もが自分が求めるもの、時には望まない情報さえも容易に手に入れられる時代に。
さて、そんな現代社会のなかで、あなたはどの様に情報と向き合っていますか? 以前「ながら族」と言う言葉があり、当時は決して良い意味で使われてはいなかったのだが、時間に余裕のある時はこれを勧めたい。実際に、専業主婦の方は多いようだが、見たいもの、聞きたいもの、得たいものだけではなく、予期せぬ情報に出会えるながら族を。例えば、どのチャンネルにしても、情報番組は同じトップニュースを伝えている。求めている情報なら繰り返しも良いが、目に耳にしたくないものが繰り返されるのは苦痛。だからと言って、どんな情報がいつ流れるか解らないから、とりあえず、〜しながら…となる。そんな「ながら」のなかで得たものの中にこんなものが。何度かこの花模様でも取り上げた「根性…」
と云う、予想外の場所で実を付けた、花が咲いたと云う話。最近では、皆さんの目にも留まったかも…目の前の田にコンバインが来ると、猫カフェの猫が集まってひとつの窓越しにその様子を見る、や、電柱にコウノトリが巣を作り、地域住民の知らせに感電を避ける為に配電を変えて巣立ちまで見守る…。配電工事のための停電に誰も文句を云う人がいなかったとか。
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日常のなかで起こったこぼれ話や他愛の無い話、細やかな出来事に過ぎない、が、一瞬頬緩む時を得たり、心癒されたり…。新聞でいえば、一面、二面の記事ではなく、様々な出来事に対する一般の人の、感動や喜び、怒りや悲しみ等々の思いをそのままを読み取れる記事。溢れる情報、繰り返される情報にうんざり…ではなく、社会の一員として責任を果たすために知っておくべき情報、仕事、学習、趣味等々自らが求める新な知識は当然だが、慌ただしい日々の生活の中、必要に刈られてではなく、これまで気にもしなかった部分に少し目を向け、本の少し違った情報の受け止め方をすることが、以外に心身とものリフレッシュに、明日への気力に繋がるのかも。
政治は解らないと言うある昭和初期生まれの外出も儘ならない男性の一番の元気の素はテレビ、新聞だとか。何よりも好きなものが国会中継、与野党の攻防がとにかく面白いと、国会が始まるのを楽しみにしているらしい。党派ではなく個人の言ってる内容に対して、そうだ!と賛同したり、それは間違ってる!と画面に向かっ
て怒ってみたり…。その思いを補うために、近年まで見向きもしなかった新聞に目を、今は様々なニュースに出会う事が、日々の楽しみになっているとか。自分が好きで、楽しめる、居心地よい時間と空間を持ち続けること、その意志が、不可能を可能へと導く事に繋がるのでは。
専慶流 西阪慶眞
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