先月韓国で開催された冬季オリンピック、多くの人がその勝敗
に関わらず、想像を越える選手達のここに至るまでの過程や努力
の積み重ねに、心から称賛の拍手を送ったに違いない。ただ、開
催まで、開催中にもドーピングや、近隣諸国との外交問題等々…。
本来選手達の純粋な技と技の競い会い、神聖なはずのスポーツの
祭典にも関わらず、予想通り、多くの疑問符を残す大会となった。
私達は、スポーツマンシップに則って正々堂々と…と言う宣誓
を、子供の頃から運動に関する行事の折りには必ずと言って良い
ほど耳にし、子供心にも、ルール違反は決してしてはいけない!
と教えられ、学び、互いにそうあるべきだと確かに認識があった。
だが、この言葉を耳にした今の子供達、全てとは言わないが「そ
んなの変!。ルール違反していても、審判が見ていなければOK
なんだから…だって、サッカーのイエローカード、レッドカードっ
て、あれもルール違反したからでしょ?他のスポーツだってそん
なの沢山あるし…勝てれば良いんだよ」と躊躇うこと無く返して
くる。この言葉に、あなたならどんな言葉を返せますか? 「違
反は違反、本来してはいけないことなんだよ」と言えば「そんな
ことは知ってるよ」と返される。そう、認識として善し悪しは解っ
ている上での発言なのだ。では、それに対し反論?同調?きっと
答えは個人の持つ価値観で異なるはず。更には都合の良い大人感
覚?とでも言えば良いのだろうか、その場の雰囲気、状況等その
時々に合わせて判断が変わってしまう事も現実。知っていると言
う知識での善し悪しと、現実に対する認識が異なるのだ。相手の
反則、誤審には攻撃的になるが、立場変われば両手を挙げて称賛
してはいないだろうか。中にはどこかで後ろめたさを感じながら
も結果に合わせ同調する人も…。 |
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物の善し悪し、正誤の基本は昔も今も何も変わっていないはず。
しかし、現実ではそれが理想論とさえ言われてしまう。「勝敗で
はなく参加することに意義がある」、「勝たなければ意味がない!」
どちらの主張にも同調する人は沢山いる。子供なら尚更に無条件
に好きな選手、チームが勝つことを願う。しかし、善し悪しの決
定が、ひとつ間違えば、大人は嘘つき、大人は信じられない!と
声を大にした非難へと変わる。かと言ってそんな話に耳を貸さな
ければ、或いは、誰かが正し、声に出し続けなければ、人と共に
生活する社会の中で、最低限のルールさえも崩壊へと向かうので
は…取り越し苦労だろうか。赤で渡ってはいけない信号でさえ、
この状況なら渡れるから…これはルールを無視した一個人の些細
な行動?。しかし、同じ感覚で社会が抱える問題も都合の良い曖
昧な理由と判断に流され、それを見て見ぬ振りで過ごす事が、や
がて取り返しのつかない現実へと、生活が脅かされる事へと繋
がって行くのだと言う危機感を大人である私達の誰もが自分の事
として今しっかり捉え、そして、躊躇わず堂々と声に出して行く
べきだろう。未来を担う子供達を正しく導き躾るために手本とな
るべきは私達大人。それはそのまま社会全体の姿と重なる。まず
は人任せではなく、自身を振り返り正して行かなければ…そして、
小さな声を出すことが、やがて地域を、日本を、国際社会を正し
て行くエネルギーへと変わって行くのだと信じ、願いたいもの。
内面的にも豊かな心暖まる社会であってほしいと願う。
華道専慶流 西阪慶眞
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