令和元年を迎えた暮れに始めて報道され、今なお終息へ向かう様子無く、それどころか世界中を不安と恐怖の渦に巻き込んでいるコロナウィルス騒ぎ。初めて耳にしたとき、誰がこれほどの騒ぎになると予測しただろう。殆どの人が、ニュースを目に耳にしながら最初は「嫌だね、怖いね…」ぐらいの感覚、何処か遠くの出来事、他人事と捉えていたのでは。私も人の事は言えない、そんなに長期化しないだろう、終息の見通しがたてばこのコラムに記録と
して残そうと、安易にその時期を持っていたのだが、現実は最悪の事態へと広がってしまった。
朝から晩まで流れ続ける報道、時には謝った報道が人々の不安を増長、更にはデマまで飛び交い人を翻弄…。不安が極限に至ると人は、時になりふり構わず自己防御に向かう。命を守るための行動は当然のこと。そして正しく自身を守ることが、他者も守ることに繋がるのは間違いない。しかし、報道に煽られ、デマに乗せられ、詐欺に巻き込まれ…、様々な場面で度を越した行動を目の当たりにして、改めて、人の思いやり、優しさ、人と人との繋がり…を思わずにはいられなかった。十人十色、人それぞれの思い、価値観が異なるのは仕方のないこと。ウイルス拡散の防止対策、プリンセスクルーズ船での対応、感染者への対応、国際関係等々全てにおいての対策の正誤は、未知のウイルスへの対峙では正解が解らず手探り状態であり、全ての人が同じ意見を持って臨むものではない。ただ、人は人と関わり合って共に社会の中で生きている事を忘れてはいけない。 |
|
現時点での最大限の防御は、自分さえ良ければ…ではなく全てにおいて互いに相手を思いやる行動、物品の購入も必要なのは誰しも同じ、互いに分け合うことが、また、人と対峙するときに「移さない、貰わない」為の自らの行動を…そんな些細気遣いが、拡大を防ぎ、時には改善へと繋がって行くのではないだろうか。 世界規模で日に日に広がり続ける現状の中にあって、抱える問題は更に大きく、更に増すばかり。対象は一部ではなく、子供も、学生も、社会人も…世の中の全ての人が対象者として関わる問題。嘆いていても、怒りを他者にぶつけても何も変わらない。だからと言って批判的な身勝手な行動をとるのは無責任。投げ遣りになるのではなく、現状で自分に出来ることは何か…。
私の発信が届くのは極々限られた人達でしかないが、それでも縁あって何らかの繋がりが出来ている人達だからこそ、小さな広がりであっても良い、改めて過去の発信を繰り返したい。私達は共に生かされ生きている。持ちつ持たれつ…同じ問題を共有する者同士として、こんな大変な時だからこそ、今まで以上に人を思いやる行動、人への優しさが、最大限の自己防御に繋がるのではないだろうか。
マスク不足や学校等様々な自粛、生活に繋がる経済不安等々負荷が増すなかでも、現状を受け入れならが、人の知恵は、暖かさはこの苦境の中で少しでも皆の細やかな快適な生活に繋がるのならと、様々な形での工夫や支援や協力の和がどんどん広がっている。一人一人が、今自分に出来る事を、すべき事を正しくすることが、少しでも終息への近道であるのだと「花のこころ」を信じてやまない。
華道専慶流 西阪慶眞
|