私達人間に限らず、無機質なものも含め万物に別け隔て
なく平等に与えられ、変わることのない唯一のもの。それ
は時の長さではないだろうか。過ぎ去った時間、今と言う
この瞬間、この先に訪れるはずの時間…どの時間も、人に
限らず存在する全てのものに与えられ、それは現実社会か
ら存在が消えた後も、その全てが過去の事実として記録、
記憶され、たとえいつか誰からも忘れ去られたとしても、
その存在した事実が消えることはなく、変わらず時の流れ
は刻まれ続けて行く。
グランドゼロが迎えた同時多発テロから20 年、未曾有
の東日本大震災から10 年…等々、その時間の経過に「も
う…」「まだ…」と、人はその事実に直面した時の自身の
状況によって、様々な思いで受け止める。どんなに時が過
ぎようと、突然失われた日常の悲しみや苦しみ、受け止め
きれない現実からの逃避と未来のために語り続けて行かな
ければならない責任感等々…。20 年、10 年と云う一区切
りの年、あなたはどんな状況で、どんな思いで迎えただろ
う。ある被災者の家族、高齢の男性が、アメリカの空港だっ
たか偶然見つけたのが全く解らない英語で書かれたグラン
ドゼロの報告書、少しでも事実を知りたい、少しでも正し
く人へ伝えなければの思いに、一言一言を辞書を引きなが
ら…。
過去に起きた出来事は、当事者でも家族でも、何らかの
形で現実として受け止めた人達と、報道で見聞きした人達
の受け止め方が大きく異なるのは当然だろう。しかし、経
験に勝るものは無い、は云うまでもないが、他者の経験を
少しでも身近に感じて受け止めることが出来れば、同じ現 |
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実に向かい合わなくてはならなくなった時、きっとな何か
が異なるはず…一人でも多くの犠牲者を減らすことが出来
るはず…そう信じ、自分に出来る精一杯で行動したいもの。
報道を通してだが、追悼式典で多くの悲しみ、悔しさ、憎
しみの涙を見た。涙が語るのは、どんなに時を積み重ねて
も尚、背負った事実の重さが変わらずそこにあると云うこ
と。
何気無く淡々と当たり前のように過ごしていた日常に起
こったコロナ騒動も、このままでは間もなく二年を経過す
ることになるが、未だ終息の見通しが全く見えない。これ
までこれ程の世界規模で同時の災禍があっただろうか。コ
ロナに関わらず、様々な災禍は誰彼問わず明日は我が身…
の感覚は当然共有の危機感、と思いたいが現実には、過去
の様々な悲惨な現実を見聞きしていながら、私達は何を学んできたのだろ…無責任は自己だけの問題に止まらず、多くの人の日常をも奪いかねないと云う事実を、せめて過去の様々な悲惨な出来事の節目を迎えた折りに、自身に問い直してみてはどうだろう。強制されるのではなく、今自分はどうあるべきか、思考回路とともにどう行動すべきかと…。
華道専慶流 西阪慶眞
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