皆予期せぬささやかな気遣いに、ホッと心の緊張感が緩む一
瞬に出合い、思わず笑みがこぼれる。こんな瞬間は特別なも
のでは無く、日常の慌ただしさの中でついつい私達が忘れが
ちになっているだけ、身の回りには沢山有るのかもしれな
い。
先日車で移動中、災害で崩れた道路脇の歩道の改修工事現
場を通過する折り、歩行者への安全対策に立てられたフェン
スに、一定間隔でハンギングバスケットと云うには少し貧弱
なものだが花が飾られていた。花は、これも100均で手に入り
そうな造花だ。信号待ちしなければ目にも止まらなかったか
も?決して美しいと言えるものではなく、目にした状況が違
えば、もしかするとこんなものを飾るくらいなら…と批判的
に捉えたかもしれない。しかし、この日は、お粗末にさえみ
えるこの花を目にした瞬間、そこに人への思い遣り、優しさ、
気配り…そんなものが感じられ、反射的に大袈裟かもしれな
いが「まだまだ世の中捨てたもんじゃない」と云う思いに、
何故か嬉しくもなった。
思えばもう随分前に東京の繁華街での工事現場を通り過ぎ
る迄のフェンスに画かれた絵を追って行くとひとつの物語に
なる…と言った話題が有ったことも思い出した。
工事内容が自分の生活に関わるものだと知っていても、つ
いつい工事は厄介なものと捉え、時に不平不満も…。ただ、
元来無機質な工事現場も、今は随分様変わりをした。単色に
塗りつぶされていたフェンスに様々な絵が描かれ、区分を知
らせるコーンが、カエルやウサギ等々の動物等の置物に、時
にはヘルメットを被った描かれた人がお辞儀をしたり…と。
元を辿れば工事をする人が悪いわけではない。極端な事を言
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えば安全対策をしていれば気遣いは無用とも言えないだろう
か。しかしこの変化は、マイナスのイメージしか湧かない無
機質な空間と人の関係に、少しでも心通じ合えれば、それが
ささやかでも相乗効果に繋がる…の発想からだろう。この工
事現場のフェンスに飾られた花を発想したのはどんな人だ
ろう。また、その前を通る人達の中でどのくらいの人がこの
花に気付き、私のように感じた人はどのくらいいるのだろう
…と思い巡らすひと時を得た。
コロナ禍の始まりからおよそ2年、世界を見渡せばまだま
だ出口は見えず、我が国の感染者数の激減を目にしても安心
感からは程遠く、先行き不安を拭えない。それでも、私達の
日々は留まってはいられない。このフェンスに飾られた花で
はないが、私達の日常には、気づかないでいる沢山の思い遣
りや、優しさや、気遣い等々が溢れているのかもしれない。
ゴミを拾う、席を譲る、困っている人に勇気を出して声を掛
ける…どんなにささやかな事でも、互いが互いを思う何気な
い行動が、ほんの一瞬のささやかな喜び、感動、感謝を生み
出す。そんな心のキャッチボールを大切にすることが、ひと
りひとりの心を元気にする糧となるように思える。
華道専慶流 西阪慶眞
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