「光陰矢のごとし」過ぎ行く時間の早さの感じかたは
人それぞれ、我が身をもって年齢も含め置かれた立場
で異なる事を痛感する。
先月3月11日、東日本大震災発生から10年を迎え
た。何をもって節目とするのか…10年と言う時間の長
さをひとつの節目と捉えての報道は、例年以上の報道
となっていたことは間違いなく、多くの人がそれぞれ
目にした衝撃で、あの日その瞬間、自身の受けた様々な
状況を、感情?を思い出していたに違いないだろう。決
して忘れられない、忘れ難い事実は終ること無く、それ
ぞれの立場で向かい合う日々が今尚続いている。被災
した人達、ボランティア等々で関わった人達、リアルタ
イムを含め全てを画面を通してしか認識できなかった
人達…、そして、今10年の歳月は、いつか学び知って行
くだろう、震災を全く知らない世代へと繋がってい
る。報道を通して知る現実には常に限界がある様に思
う。誰の目にも明らかな復興の状況は様々なメディア
が取り上げ、繰り返し何度も目に耳に届くが、高齢者等
先の見えない現実のなか、生きることに大変な日々を
強いられている人々の現状は、情報の数も少なく、油断
すると一瞬の画像で通りすぎてゆく。何事も他人事で
はない現実として捉えるとき、当時も今も「今、何が出
来る」という自問自答になる。大きな組織でなければ叶
わないことは沢山ある。しかし、困っている人に寄り添
う事は一個人でも可能なはず、個人だからこそ出来るこ
とも…。 |
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今自分が置かれた環境下で穏やかに一日を
過ごせることに感謝の思いを忘れないで居ることが大
切なのでは。無責任な他人事のように聞こえるかもし
れないが、穏やかで居られれば、隣の人への気遣いや思
い遣りを忘れずにいられる。遠くにいる人の手助けは
現状では無理。でも隣の人なら…そんな思いで寄り添
うことができれば、被災から何かを学び、被災した人へ
は届かなくても、被災者を思う思いが、この先の誰かの
助けに繋がるなら、そこに大きな意味が生まれる…
と。安易な考えだろうか。
私の中では、復興に節目などなく、いつか長い時の先
に、そういくつもの時代を要するかも知れないが、人々
の中で全て過去の出来事となる日を願いながら、せめ
て自分の人生のなかで起きたこの現実を、受け止め続
け、常に「何ができるのか」の思いと向き合い、可能な限
り行動したいと思う。偶然か必然か、人生の中で、今新
たにコロナ禍を経験する運命となった。この現状の中
でも、思うこと、考えることは同じ、「今何ができる、今
何をすべき、今どうあるべき」。まだまだ明日何に出合
うか解らない日々、ただ、どんな時も、どんな状況下に
あっても、人へだけでなく、自分自身へも含めて、優し
さや思い遣り、常に人と共に在ると云う思いを皆が忘
れずに共有出来れば、どんな災禍に遭っても最小限に
受け止められ、強く前に向いて歩めるのでは…と思う
のだが…。
華道専慶流 西阪慶眞
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