五月二十一日午前七時半過ぎ、大阪では二百八十二年ぶり、次回観
測できるのは三百年後だという金環日食に、日本列島は沸いた。あい
にくの空模様の予報が何日も前から出ていたにも関わらず、もしかし
て…の期待に心弾ませ、様々な観測グッズを手にその瞬間を待った。
雲の間に見え隠れするその幻想的な数分間のショーは盛り上がり、そ
の感動を共有した人々の様々な笑顔の模様がテレビに写し出された。
なんとも微笑ましく、無邪気で少年のような素直な姿が浮き彫りに。
さてあなたはどこで、誰と、どのような状況で空を見上げていたので
しょう? その感動はどうでしたか?。
それほどの興味を持つこともなく…と言う人もいたり、そんな事に
夢中になっている場合じゃない!と言う人も…。しかし、何かに感動
できる心は、そこに豊かな感情、感性無くては有り得ないと私は思う
のです。その豊かな感情こそが、人と共に生きて行く為の大きな糧…
そんな風に理解しているのだが、どうだろう? 無関心でいる方が心
煩わされずに済むのかも知れないが、起伏のない感情は、何も生み出
さない。共に生きているはずの人との繋がりも生み出せない…なん
て…。難しい話はしたくないが、神秘的宇宙のドラマをこの目で確認
出来ただけで自然と熱い血が全身を巡る。この現象を確認したい為に
早朝から最高の場所を求め、そして、手には観察グラス。さらに、カ
メラに収めたいと言うマニアの思いは一層ヒートアップしていたよう
だ。
|
|
東京で金環日食を観測した人の話に遠い日の昔話、天照大神、天の岩戸を想像させる興味深いものがあった。こちらと同じように、前日も天気には恵まれない予報が流れていたらしいのだが、当日は嘘のように朝から晴れ渡り、見事な真円リングに出会えただけではなく、更に神秘的な感動に出会ったと言うのだ。それは、日食の始まりから徐々に空が暗くなり、気温がそれまでより下がって行く、そして日食の終わりに向かって徐々に空が明るくなり気温が戻って行く…数分の現実、考えれば現代人?は誰もが知識として学んできた当たり前の事なのだが、それを体感し、新鮮な感動と遠い太陽のエネルギーの大きさを改めて思わずにはいられなかったと言う。神と崇め祀っていた古代の人々が、動物がこの現象に転変地異を感じ右往左往しただろう様子は、想像出来る気がする。太陽の恵みがあって初めて絶えることのない命の営みが刻まれてきた長い人類の歴史、その先に今の私達の日々の生活があると言う大切な事を忘れることなく、生かされていると言う紛れもない事実にあらためて感謝の思いを抱いた次第。全てが当然!とひょっとして優位な立ち居をもっていないだろうか。地震、津波、竜巻、暴風雨、想像を超えた天変地異ノ紛れもない自然のエネルギーの猛威の前に私たちは近年大きな痛手を負った。しかし、春には櫻が、夏にはひまわりが、秋にはコスモスが、冬には山茶花が…自然のエネルギーが私達を癒し、日々の生活を潤し守ってくれているのも事実。私達は与えられる自然の恵みに甘えて居るだけではいけない。感謝することを忘れず、万物と共存して行く為の基本姿勢を再確認させられる機会となった。
華道専慶流 西阪慶眞
|